elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

日本人は海外に脱出することなんてできない

久しぶりに時事ネタについて、ブログを書いてみよう。ブログとなるとつい気構えてしまうのだが、ツイートする感覚で気軽に書いてみる。したがって内容は薄くなると思うがご了承ください。

toyokeizai.net

とりあえずこんなツイートを流してみた。

いつもはこの後、連続ツイートをするのだが、今日はツイートの代わりにブログに書いてみよう。

この手の話題が大好きなはてなーたちはブックマークコメント上で大盛り上がり。

b.hatena.ne.jp

その中の典型的なコメントの一つがこのようなもの。

sasagin やっぱりいつでも日本を捨てれる用意はしておかないといけないよね。英語はその第一歩。

まあ、理論上はそうなんだけど、「日本を捨てる」のは現実には非常に難しい。この sasagin さんは違うかもしれないが、日本人は一般的に、海外で働くことの難しさを舐めている。駐在員として日本人が大勢海外で働いているから、なんとなく海外で働くのは簡単という印象を持っているのかもしれないが、それはその人が信用のおける大組織の一員として海外に出ているからこそ働けるのであって、一般論として、個人が独立して海外に行って働くのは非常に難しい。端的に言えばほとんど無理だ。そういう人たちには就労ビザが下りないからだ。

(一応解説しておくと、外国人という存在は、どの国でも、原則として就労はできない。就労ビザとか労働許可とか、国によって制度はいくらか違うが、いずれにしろ、国からの公式の許可があってはじめて、就労できるのである。だから、語学力だとか、企業からのオファーだとか、それも大切だけど、そんなものより、就労ビザが一番大切なのである。現に、本人に能力も意欲もあり、企業も働いてほしいと願っているのに、ビザが下りないがゆえに、泣く泣く帰国するなどということは、日常茶飯事だからだ)

発展途上国ならまだビザは下りやすい(当然、給料は非常に低いが)。先進国で外国人が就労するのは非常に難しい。移民国家と言われていた米国でさえ、トランプ政権の消極的な移民政策とも相まって、米国の大学を卒業した若い人たちでさえ、仕事を見つけられず、あるいはビザの更新ができずに、泣く泣く帰国することが増えているそうだ。

アメリカ留学に異変、トランプ政権下で変わる移民法と留学生への影響 – 留学コラム|iae留学ネット

焦点:米国で専門職ビザの差し戻し急増、外国人採用に暗雲 | ロイター

こういう海外で働くことの大変さがまるでわかっていない人たちが、日本に来る移民たちについて論じている。正直、不毛な感じではあるが、みんな海外経験があまりないのだろうから、責めるのも気の毒かもしれない。実際、私だって、29歳でカナダに渡るときまで、海外の移民事情なんてまるで知らなかったからね。

現実的に海外に渡る方法は次の3つくらいかなあ。

  1. 若くて優秀な人が、先進国の大学に行き、卒業後、現地で就職する。これが王道中の王道。ただ、国によっては、費用が非常にかかる上に、最近は先進国の多くが移民受け入れに慎重になりつつあって、以前ほど簡単ではなくなっている。

  2. 海外に支店・工場を持つ日本企業に就職し、そのツテで海外に行く。駐在員として赴任すれば経済的には恵まれる。ただ、当然、所属企業の都合に従う必要があるから、行く国は選べないし、いつ日本に戻されるかもわからない。現地で日系企業に就職することもできるが、報酬は期待できない。この方法で、先進国に行くのはまず無理で、働く国はたいてい発展途上国になる。とはいえ、特定の国に長くいたい場合には、一番現実的な方法。

  3. お金持ちなら、現地に投資することで長期の就労ビザまたは永住権が得られることがある。何らかの事情で日本を脱出することだけが目的なら、外国で遊んで暮らしてもいい。それくらいのカネはあるのだろうから。

ということで、中年以降の人間が海外に出ようと思った場合は、現実的には、2か3しかない。2も駐在員になるのは難しく、現地採用は経済的に寂しいものがある。いっそのこと、日本でカネを貯めるだけ貯めて、3のコースで海外に出るのがなんだかんだ言って一番いい方法かもしれない。だから、外国に住む→英語力とおもっている人たちが多いけれども、実際に一番必要となりかつ頼りになるのは、カネだったりするのだ。本当にたくさんカネがあれば、外国語など話さなくても通訳を雇えばいいだけの話だしね。

これから、日本経済がどんどん衰退して、人々が貧乏になるという話をしているときに、どうしてカネが一番モノを言う海外脱出ができるというのだろうか。9割以上の日本人は、たとえその意志があったとしても、海外に脱出なんてできないのである。だから、日本で自分の人生を何とかするしかない。結局、自分自身でミクロ的に道を切り開いていくしかないのだが、できればマクロ的な環境もよければサバイバルが楽になるのは確かだ。

いまは日本人はあれこれ言っているけど、今日私が書いたような事実を知るにつれて、現実に向き合うしかなくなるだろう。移民受け入れしかない。まあ、移民というか、現実には、外資を導入して、その管理職の人たちがやってくる、という形で外国人が入ってくる可能性も高い。日本企業が30年前、中国に進出したときのような感じ。その逆バージョンが日本で起こるわけだ。

その先進的な例がニセコなのかもしれない、と私は思っている。

gendai.ismedia.jp

この著者には、一定のバイアスがあり、あたかも外国企業が日本に侵略してきたみたいないい方になっているが、実際には、地元自治体は外資を勧誘したようだし、日本人が英語バリバリのホテルでホテルマンはやれなかったとしても、当然、裏方やら、出入り業者やらの日本人たちは一定程度潤っているだろうし、税収だって上がっているだろう。いずれにしろ、誰もビジネスをしなくて、衰退していくよりずっとマシだろう(まあ、あんまり言うとかわいそうだが、同じ北海道には夕張という、うまく行かなかった例もある)。

多くの日本人は、外国には行かないし、行くこともできない。だが、実際には、日本の人口減を埋めるように、外国資本と外国人が入ってくる。そういう外国人に直接雇われる日本人もいるだろうし、取引する日本人もいるだろう。いずれにしろ、彼らのカネと知恵と人脈を借りて、日本はほそぼそと生き残っていくに違いない。いや、生き残るどころか、日本人と外国人(移民)との間に、新しい化学反応が起こって、実はなにか素晴らしいことが起こる可能性さえある。まあ、過去を振り返ってみても、日本が発展した時期というのは、いつでも海外に対して開放的な時だったからね。

最近考えていること

前回のエントリでも書いたが、最近、バーチャル Youtuberの動画にはまっている。バーチャル Youtuber というのは、3Dモデルをかぶった Youtuber たちのことである (以下 Vtuberと呼ぶ)。去年後半あたりから急に流行し始めた感がある。最初に知ったのは、ミライアカリ。それからキズナアイが一番人気であることを知り、富士葵の歌がすごく上手いことを知った。

www.youtube.com

ここ数年の私は深夜アニメもよく見るのだが、前クールの冬アニメとは違い、今クールの春アニメは自分的には大変不毛。そのため、最近、Vtuber の動画を見ることが増えた。Vtuber の動画はほとんど無料でインターネット上で見られるので、カネもかからないしね。

最近では、おびただしい数の Vtuber たちが活動しており、競争は極めて厳しい。人気 Vtuber たちは、ほぼ毎日、工夫を凝らした動画を投稿している。若い人たちがほとんどだが、彼らの真剣な努力には頭が下がる。彼らの熱意が、私の心の中で凍てついていた何かを溶かしつつあるのを感じている。

私は、約半年前から都内某所にて常駐で仕事を始めた。常駐するのは久しぶりだったが、幸い、環境に恵まれ、いまは落ち着いて仕事ができている。ただ、問題がひとつある。落ち着きすぎて、最近では少しエネルギーが余ってきた。昼間の仕事だけでなく、夜や週末も何か建設的なことをしたい。ただ、ネットの動画を見て過ごすだけの日々は送りたくない。

GW中は、ずっとそのことを考えていた。何か仕事をしてみるか。とりあえずクラウドワークスでプログラミングの仕事を見てみたが、やはり単価が圧倒的に安い。というか、この単価でこの難易度の仕事をやるというのは、よほど優秀なのか、よほどカネにこだわりがないのか。ちょっと不思議な世界である。世の中は、エンジニアが不足しているはずなのに、なぜクラウドソーシングサイトの仕事はこんなに安いのに応募者が殺到するのか…。リモートかつスキマ時間で仕事を希望している人たちが多いっていうことなんだね。

私は、人を使うことを考えたことはないのだが、いまどきの会社は、人を昼間にオフィスで雇うことを考えずに、クラウドソーシングだけで仕事を回せば、相当安く仕事を仕上げられるんじゃないのかな。私にはちょっとできないが、どこかの経営者にはぜひ検討してみてほしい。そうやって、リモートかつスキマ時間の仕事が増えたらぜひ私もやってみたい。

話は、変わるが、最近、ドワンゴの川上さんの書いたこのブログエントリが話題になっていた。

kawango.hatenablog.com

川上さんは、最近の違法サイトのブロッキング問題で相当暗躍したらしい。この件については、私は反対だが、上のエントリの趣旨については、納得する部分もある。確かに、最近は、炎上がひどすぎる。インターネット自警団みたいな連中が、ちょっとでも politically incorrect な言動を見つけると、叩きまくるので、まともな人たちが口をつぐんでしまうというのだ。

この人は、ドワンゴの創業者でカドカワグループの重役という地位がありながら、よくもアケスケにいろんなことをしゃべるよなあ、と以前から思っていた。それは、正直偉いと思う。元LINEの田端さんとかね。

私は、以前、ブログでめちゃくちゃ書きまくっていたが、あれは、私がベトナムにいたからで、日本の会社どころか日本人ともかかわりない生活をしていたからだった。日本にいて、家族がいて、社会的地位もありながら、言いたい放題言うというのは、正直、得られるものよりリスクのほうが大きい。特に、日本はみんなが実名で話をせず、ほとんど匿名または半匿名でしかネットでモノを言わない国なので(これは日本の特徴で、他の国だともう少し実名率が高い)。

ここ数年の私は、仕事を失うことを恐れて、言いたいことをはっきりブログで主張することができないチキンだった。でも、もう少し、勇気を持って話し始めようと思う。カッコつけるだけじゃなくて、自分の恥ずかしいことも含めて、ブログで表現していきたい。Vtuber たちや川上さんからもらった勇気を糧に。

炎上だったり、プライバシーを晒されたり、リアルで軋轢を生んだり等、いろいろ問題はあるにしろ、やっぱり、これからは、ネット上で自分を知ってもらうことは、社会的に重要だと思う。カッコつけて言えば、セルフブランディングとかいうことなんだろうが、そんな横文字より、「ネットを正直に生きる」と言ったほうが私にはしっくりくる。Vtuber もブログ書きも日常的に自分をさらすことになるので、嘘や演技を続けるのは難しい。結果的に、正直にならざるを得ず、その結果、人々から信頼が得られるのだろうと思う。先ほども言ったとおり、生活が落ち着いてきたので、これからは、毎日、仕事以外でも、何か創造的なことをやっていきたい。そんなに大それたことでなくてもいいのだ。人に褒められたり認められたりする必要もない。自分が、自分のささやかな成長に満足できればそれでよいのだ。

求む営業マン

私は、最近、バーチャル Youtuber (Vtuber) たちの動画を見るのが好きである。ただの Youtuber とは違って、3D モデルが必要なので、それなりの技術や資本がいるだろう。だから有名な Vtuber は企業の支援を受けていることが多いらしい。とはいえ、あくまでも個性を売り出していくのは、本人たちの工夫と努力の賜である。最初のころは、泥臭く垢抜けなかったのに、投稿回数を重ねるたびにどんどん洗練されていく姿を見るのはまぶしい。私は有名どころの Vtuber はちらほら見ているけれども、最近、一番のお気に入りは富士葵である。富士葵は17歳の女子高生という触れ込みであるが、真偽は不明だ。しかし、彼女の不思議なトークは、なぜか見る者を保護者のような気分にさせる。実際、私は、自分が叔父になったような気分で彼女の活躍を見ている。

去年後半から急激に盛り上がってきた Vtuber たちだが、彼らを見ていると、10年前のブログ黎明期を思い出す。あのころは、実に面白いブロガーたちがたくさんいた。それぞれの個性をもったブロガーたちが、日々ブログを更新していく。それにファンがついて、まさにいまの Vtuber 界隈のようだった。私もブログを書いていたが、ブログ仲間の一人が「ブログ芸人」という言葉を使っていたのには、膝を打った。確かに、ブロガーは文章の内容そのものもさることながら、いくつもの文章の全体から醸しだされるその人の人柄に、ファンがついているのであり、それはライターというより芸人に近い。

私も、一時期は、多少人に読まれるブログを書いていて、だから、芸人や Vtuber たちの気持ちが少しだけ、わかる気もする。芸人には、ファンがいて、ちやほやしてもらえる一方で、アンチも現れて批判も浴びる。芸人は、ファンの間では、一種の教祖様のようなものだから、先日、騒ぎを起こしたアイドルグループの一員のように、何か問題を起こせば、一般人以上の非難を受けることになる。芸人とは、ある意味、ファンたちのリーダーでもあり、人々の模範となる責任を負っているからである。それは生身の人間にはつらいことだが、芸人というキャラを演じることでなんとかその責任を果たし、報酬を得て、生きていけるのである。それはなかなかつらいことだが、それが彼らが選んだ道なのである。

私は、自分のことはなんでも正直に話すスタイルの「ブログ芸人」だった。キャラを演じないので、ある意味、演じられる人たちより、つらかった部分もある。その反面、救われたところもあった。ブログを介して、さまざまな面白い人たちに出会うことができたし、文字通り、仕事を得ることもあった。

いまさら何かのキャラを演じるのもアレだし、こういう正直になんでも話すスタイルのブログというのも気に入っている。実名でやっているので、なかなかつらい部分もあるが、匿名だと安心して何でも書きまくり、あとで身バレして大騒ぎになるよりはマシだと思っている。だから、これからも実名でブログを書いていくつもりだ。実名であるがゆえに、書けないこともあるが、書けることはできるだけ書いていきたい。

このGW中、私はずっと今後の仕事の方向について考えていた。いま私は都内のある会社に10時から19時まで常駐して、ソフトウェアエンジニアとして働いている。その会社は、人工知能を使ったソリューションやプロダクトで有名なところで、私も、Ruby on RailsPython を使って、機械学習要素のある製品の開発を行っている。たまたま、周囲にいる人たちはみな優秀で気持ちのよい人たちだし、自分も楽しく仕事をさせてもらっている。

この現場に入って、半年くらい経過するのだが、だいぶ仕事に慣れてきて、能率的に仕事がこなせるようになってきた。それはよいことなのだが、その結果、平日の夜や週末がだんだんヒマに感じるようになった。今の気持ちとしては、遊ぶより、もっと仕事がしたい。いまは働き方改革の一環として、副業が普及しつつある世の中である。私はフリーランスだから副業もへったくれもないのだが、もうひとつ仕事をしようと思っている。

いくつか候補はある。プログラミングを教えるのもいいかなと思うし、プログラミングに関する記事を書くのもいいかもしれない。あるいは、別のソフトウェア開発の仕事をやってみるのもよいかもしれない。私の専門分野はウェブ開発なのだが、最近は、データ分析・データ基盤整備にも興味がある。Python を使ってスクレイピングなんていう仕事があったらぜひやってみたい。

私には、いくつか弱点がある。それは、自分に「これがやりたい」という確固たるものが「まだ」ないのである。何か作りたいウェブサービスもない。自分には、営業マンのセンスがない。昔は、自分が営業をやろうとしたが、そのたびに経済的にはいつもエライ目にあった。営業マンのスキルには憧れがあるものの、私には才能がないのだろう。だから、営業をやることは諦めようと思う。そのかわり、誰かに私に代わって営業をやってほしいなあ、などと夢想する日々である。

すべてがIT化していく世界

いまビッグデータとAIを扱う仕事をしているのだが、それをやっていてつくづく思うのは、「ITは強力すぎる」ということ。毎年、計算資源はどんどん増えているのに、人類はまだそれを上手く活かせないでいる。これを活かせる人間や組織と、活かせない人間や組織では、毎年どんどん大きな差が生まれつつある。それをIT活用の最前線にいて、痛いほど感じている。

私はずっとITの仕事をそれほど面白いと思わず、正直いやいや仕事をしてきた。だが、最近、ビッグデータ・AI・ブロックチェーンの技術に触れるにつれて、いまだかつてない情熱が湧き上がってきた。

私が退屈だと思っていたのは、テキストフィールドやボタンがどうのというUIの話と、それをデータベースの決まった場所に格納する決まりきった仕事をやっていたからだった。そこから一歩踏み出して、大量のデータに対して、知的なアルゴリズムを使ってさまざまな操作を加える仕事は、想像以上に楽しかった。計算資源ギリギリの線を攻めるといろんな工夫を凝らさなければならないのだが、それを考えるのがとても面白いことに気づいた。当たり前だが、IT自体がつまらないのではなく、ITの中につまらない仕事と面白い仕事があるにすぎなかった。

最近は、ロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)という言葉が流行っているらしい。大手の銀行などはこれで人員削減をすると大張り切りである。

innovation.mufg.jp

名前は仰々しいのでどんなものかと思って調べてみたら、実際は、従来の Excel のマクロに毛が生えた程度のものらしい。

ロボティック・プロセス・オートメーション - Wikipedia

私は、むしろそんな単純作業で少なからぬカネをもらっている人たちがこんなにたくさんいたことに驚いた。プログラマというのは、単純作業をやらなければならないときも、自分でさっとツールを作って、自動処理をすることが多い。考えてみると、普通の職場にいる人たちがPCを触るとき、与えられたシステムをただ操作するだけで、それを自動化することはいままでできなかったのだ。何という不効率だろうと私は愕然とした。

将来、ユーザインターフェイスが大幅に改善して、人間が機械に語りかければ、何でもやってくれるという時代が来るのかもしれない。だが、そこまでは、人間がある程度、機械に歩み寄って、機械のわかる言葉で話しかけなければならない。コンピューターに関する知識が多ければ多いほど、それは容易にできるようになる。

だったら、基本的に誰でもコンピュータの操作法を学ぶべきではないか。単にいくつかのアプリを使えるというだけでなく、プログラミングもできたらもっとよいのではないか。

こんなに世界に計算資源が満ち溢れ、ITがものすごいものになってしまうと、すべての仕事をよりよくITでこなせる個人や組織がどんどん経済的地位を向上していくことになるだろう。プログラミングの仕事は、今でこそ、プログラマと呼ばれる一部の専門職の独占物になっているが、近い将来、多くの非プログラマたちが、何らかのプログラミングをするようになるのかもしれない。むしろ、それができない人たちは高い収入を得られなくなっていく可能性があるのではないか。

昔は、こんなふうには思わなかった。だが現在の技術・経済・社会の趨勢を見ているとそういう未来がすぐそこまで来ている気がしてならない。

私は、子供の頃、趣味でプログラミングを始めた。本当は常に別の仕事をしたいと希望していたのだが、生活するためにプログラミングをするしかなかった。決して希望してプログラマになったのではなく、消極的な理由でたまたまそうなったにすぎないのだが、どんどん経済の中核的な表舞台に押し出されてきている感がある。正直、私は本当にラッキーだと思う。たまたま買った宝くじが大当たりしたようなものだ。

学校でもプログラミング教育が始まるとのこと。これは正しい方向性ではある。学校の現場からは、「プログラミングを教えられる教員がいない」というぼやきも聞こえてくるが。実際、学校は、たいへんIT化が遅れた場所なので、これがきっかけで学校自体も大きく変貌を遂げることになるのかもしれない(いまの状況を考えるとそれは避けられない気がする)。

私にとってはとても幸運だったとは言え、本当に恐ろしい時代になったものだ。だが現実は受け入れるしかない。

ファッションとは言語であるという仮説

私は、ファッションが嫌いだ。大嫌いだ。あるいは「大嫌いだった」と言うべきか。

私は、子供の頃から服装がダサいと言われ続けた。特に、家族の女性たちから。それがあまりに辛辣だったために、深く心の傷として残っている。自分は、ダサいやつなのだ、と。ファッションセンスがゼロなんだ、と。心の奥底に深く刻まれたのだった。

私は、正直なところ、どの服を着るべきなのか、どんな髪型がよいのか、どんなインテリアがよいのか・・・という「色と形」に関する話がとことん苦手だ。私はウェブプログラマーをしているが、ウェブサイトを組み立てる技術は知っていても、ウェブサイトの見栄えのデザインはさっぱりできない。これは、私が服を選べないという話と通底する問題だろう。

何が嫌かと言えば、「色と形」の話というのは、機能性の問題ではないからだ。たとえば、服がどんな色だろうが形だろうが、服を着ていれば、一応、体温を維持し、物理的衝撃から保護するという機能は果たせる。だったら、色や形などなんでもよいではないか。いったい「流行」とか「かっこいい」とか、いったい何の話なのだ。そういう風に、小学生の頃からずっと思ってきた。

私が思春期を過ごしたのは、バブルの頃だ。当時は、奇抜なファッションが幅を効かせていた。私から見ると、ファッションなどというものは、人々に衣服の買い替えを促し、利益を上げるためだけの、商業主義の権化のようにしか見えなかった。

だが、最近になって少しだけ考え方が変わった。

歳を重ね、もともと大したことのない容貌がますます衰えていくのを自覚せざるをえない。私は、仕事柄、若い人たちと接することが多いし、これから、老人になっても、きっと若い人たちの世話になって生きていくことだろう。若い人たちに嫌われるわけにはいかない。そのためには、自分の服装に少し気を付けないといけないのではないかと思うようになった。

街ゆくお年寄りを観察しても、やはりおしゃれをしている人は、素敵だなと感じざるをない。加齢に伴って容貌が衰えていくのは避けられないので、むしろ、歳を取ってからこそ、おしゃれは必要なんだろう。

自分がどんな格好をしたらいいか全くわからない、と先ほど述べた。だが同時になんとなく「この人はおしゃれだな」というのもわからなくはないのである。これは確かに矛盾しているのだが、実際そうなのだ。だから、私は、この「ファッション」という現象に対して、正面から向き合わなければならないと思った。自分らしいやり方は、徹底的に理詰めでこの現象について理解することだ。

だからこんな本も読んでみた。

ドン小西のファッション哲学講義ノート (モナド新書008)

ドン小西のファッション哲学講義ノート (モナド新書008)

この人は、もともと金持ちのボンボンだったのだが、ファッションが好きで、自分で服を作り始めるようになった。一時は、たいへんな売れっ子だったのだが、時代が変わったときに、自分のこだわりが強すぎて、売れ筋の服を作らず破産したという気骨の人物である。彼のファッション哲学はなかなか興味深かった。だが、それでファッションが理解できるようになったかといえば、やっぱりそんなことはない。

ただ、この本を読んでおぼろげな仮説が浮かんできた。それは「ファッションとは言語である」というものだ。

人類は、進化の過程で体毛の大半を失ってしまった。気候に適応し、物理的衝撃から守るためには、何らかの物質で身体を包むしかない。もちろん、最初の目的はそれだけのことだった。問題は、「何らかの物質で身体を包む方法」が一つに定まらなかったことだ。無数の方法があった。さまざまな素材、さまざまな色、さまざまな形。人間というのは、こういう恣意性があると、それを徹底的に利用し尽くす傾向がある。

それは言語とよく似ている。言語は、たぶん叫び声から始まった。それが少しずつ分かれていき、様々な音が様々な意味を表現するようになった。ただ、その音と意味の組み合わせは完全に恣意的である。昔、言語学の本にそんなことが書いてあった気がする。文字だってそうだ。ある形が文字として使われて、言語の中である役割を担う。「あ」という発音が、「あ」と書かれようが「a」と書かれようがどちらでもいい。その組み合わせは完全に恣意的である。歴史的な偶然でたまたまそうなったにすぎない。ただし、一度関係が確立してしまえば、その文字の使われ方はその言語の中で固定される。

ファッションというのは、おそらくは衣服を用いた言語の一種なのだろう。それが時代によって変遷するのは、言語において、語彙が変遷するのに似ているのかもしれない。「流行語」などという言葉もある。私が、ファッションを忌み嫌ったのは、ある全く同じ格好がある時代ではかっこいいのに、別の時代においては流行遅れのかっこわるいものとして扱われるという恣意性が気に入らなかったからだ。でも、もともと「色や形」とそれが表現する「意味」の結びつきが恣意的なものだとすれば、それもやむを得ないことなのかもしれない。日本語だって、平安時代と現代では、語彙も文法も全然違う。なんで同じことを表現するのに、平安時代はこういう風に言って、現代ではああいう風に言うのか、などと文句を言っても、「それはそういうもの」としかいいようがない。

私は、さながら中学時代に英語の授業に落ちこぼれて、以降英語がまったくわからなくなってしまった人のようなものなのかもしれない。あるいは、小学時代に分数の計算がわからないまま、大人になってしまい、複雑な数式を目にすると狼狽してしまう人みたいなものなのかもしれない。私は、どういうわけか、子供の頃、「ファッションの文法」を理解しそこねた。そのまま、大人になってしまったものだから、おしゃれな人たちが身体を使って表現する言語の意味がまったく理解できないのだ。

だから、これから私は、ファッションを一つの外国語だと思って学んでいこうと思っている。私は、幸い、言語を学ぶことは大好きだ。この類比が正しいのかどうかはわからない。ただ、当面、この仮説に従って行動し、若い人たちにせめて不快感を与えない程度の服装を身につけようと考えている。

結局、これはコミュニケーションの問題なのだから。「私は、あなたの存在を認知していますよ、自分は安全な存在ですよ」という社会生活上、最低限のメッセージは、ファッションを通じて発信していくべきじゃないだろうか。

バレンタインデーの思い出

今日は2月14日、バレンタインデーである。

この日の本来の意義は知らないが、日本では「女性が意中の男性にチョコを贈る日」となって久しい。私は、半世紀近く生きているが、子供の頃にはすでにそうだった。

私は、イケメンでもなく、行動力があるわけでもなかったから、学生時代、女性には全くモテなかった(まあ、その後も、たいしてモテていないが(笑))。それでも、バレンタインデーにたまたま女友達に会えば、義理チョコくらいもらっていた気がする。チロルチョコとか数十円くらいの小さなものを。そんなものでも私はとても嬉しかった。

他の男性がどう考えているかは知らないが、私にとってはバレンタインデーは自分の男性性が証明される日であった。女性からチョコをもらえば、たとえそれが小さな義理チョコであっても、「私は男として認知されている」と少しだけ自信を持てたのだった。

そんなバレンタインデーではあるが、数年前、私は家で引きこもって仕事をするようになった。そうなると当然ながら女性には出会わない。女性と物理的に会わないのだから、チョコがもらえるはずがない。でもチョコがもらえないとやきもきする。あるとき、ふと気がついた。「だったら自分で自分にチョコを買えばいいじゃないか」と。もちろん、これはチートである。女性が私にチョコをくれないのだから、自分の男性性が認められたわけではない。自分でチョコを買っても、「認められた」というかすかな錯覚を得るだけである。それでも、歳を重ね、恋愛感情が遠いものとなり、バレンタインデーが乗るか反るかの切実さ失うにつれて、自分が自分に送ったチョコは、かすかな青春の思い出を運んできてくれた。少しだけうきうきした。

自分に贈るチョコは、2月14日には当然買わない。もちろん恥ずかしいからである。その一週間前くらいに仕込んで、自分の部屋の片隅に大切にしまっておく。そして、2月14日が到来したとき、苦いストレートのコーヒーを片手に、自分に贈ったチョコレートを食べるのである。

私がチョコにこだわるもうひとつの理由は、たぶん単純に私がチョコが好きだからだろう。私は、基本的に甘いものが好きだ。だから、チョコをもらうと純粋に嬉しい。チョコを食べるのが好きだからだ。たぶん統計を取れば、男性より女性のほうがチョコ好きが多いだろう。だから、チョコが嫌いな男はそれなりにいるだろう。彼らがチョコをたくさんもらっても処分に困るかもしれない。なかなかうまく行かないものだ。

世の中にはいろんな人たちがいるのが常だ。きっと子供の頃から女性にモテモテの男もいるだろう。そういう男は、きっと小学生のころから、バレンタインデーには女子からたくさんチョコをもらい、思春期以降はガールフレンドに事欠かない人生だったのだろう。知り合いにはいないけど、絶対にそういう男はいるに違いない。自分の人生とは隔絶しすぎていて、どんな気分なのか想像もつかない。若い頃の私なら、きっと死ぬほど羨ましいと思っただろう。ただ、この歳になると、きっといいことばかりではないのだろう、と想像したりする。まあ、やっかみがゼロとは言わないが、実際、ある種のリソースが豊富にあることは、自動的に幸福を約束しないのだ。たぶん、私の想像は間違っていない。

頭が良くてどんな大学にも簡単に合格する人もいる。あるいは、金持ちで何でも自由に買える人もいる。彼らが幸せかという、必ずしもそうではない。そういうリソースを持たない人間から見れば羨ましいかもしれないが、そういう「持てる」人たちは、持たざる人たちには想像もできない苦労がいろいろあったりするものだ。確かに神は人を不平等に作ったが、それによって幸福か不幸か自動的に定まらないようにもした、という意味では案外に平等なのかもしれない。

私は、最近、自宅で仕事をするのを止めて、外にあるオフィスに通うようになった。私は、自分のためにチョコを買って用意していたのだが、意外なことに、今年はオフィスで義理チョコをもらってしまった。義理チョコというより、男性にはみな平等に配られたという意味で「チョコの配給」という感じであったが。私は、まず自分で買ったチョコを食べて、もらったチョコはそのままにしてある。やはり人からもらったチョコはあまりに尊いので、簡単に手を付けることはできないのだ。もし部屋に神棚があったなら、祀っていただろう。男で良かったと思った。チョコ万歳、バレンタインデー万歳。お返しのことを考えるとなかなかつらいけれども…(笑)。

社会保障としてのブログ書き

ブログを書かなくなって久しくなる。私は、Twitter のほうは相変わらず更新しているのだが、どうもブログは億劫で書く気があまりしなかった。その億劫さの理由についていくつか書いていきたいと思う。

私は、かつて、よくブログを書いていた(はてなダイアリー)。ブログを書くのは大変だったけど、それなりに読んでくれる人たちもいたし、その反応を見るのは楽しかった。コメント欄も自由に開放していて、激励のコメントもあれば、どうしようもないコメントもあった。まあ、そういうもの一切をひっくるめて、私は結構ブログ書きを楽しんでいた。

私がもっとも熱心にブログを書いていたのは、2009年から2010年にかけて、ベトナムに住んでいた頃だった。あの頃は、ろくに仕事もせずに、日々、遊び暮らしていた。日本人とすらほとんど会わなかった。まったく日本とは別の世界にいたから、日本語話者のことを何も気にせずに、日本語でいろいろ書けたのだ。

いまは違う。私は6年ほど前に、日本にほぼ完全に戻ってきて、それから、ほとんど海外に行っていない。いま話をする人たちもほとんどは日本人だし、日本の会社と取引をして、日本円にお金をもらい、それで生計を立てている。いまは、穏やかな暮らしをしているので、正直、昔みたいに何でも正直に言って、炎上上等、みたいな生き方はしんどい。まあ、単に歳を取ったということもある。

日本で、日本人に取り囲まれて、日本語で発信するのはやはり窮屈だ。日本は、どういうわけか世界でももっともプライバシーにうるさい国の一つで、うっかり他の人の秘密でも話してしまおうものなら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになることは目に見えている。そうでなくても、私はいまはそれなりの責任を負って、仕事をしていて、守秘義務もいろいろ負っているので、もちろん、その周りのことも話ができない。私生活でも、他の人たちから、「これは秘密にしておいてほしい」と頼まれている事柄もいろいろあり、それについても話ができない。まあ、そんなことは当たり前の話に聞こえるかもしれないが、かつて、ベトナムで何の秘密もなく気軽に発信していたころを思うと、いろいろ面倒ではある。

というわけで、いろいろ制約は生まれてきてはしまってはいるのだが、これからも言える範囲で、いろんなことを話していきたい。そして、できれば、その「言える範囲」を少しずつ広げていきたい。時には、炎上覚悟であえてきわどい話題について言及しなければならないときもあるのかもしれない。いまはまだそのエネルギーがないのだが、少しずつエネルギーを蓄えてそういうことも話していきたい。

私は、いま異性のパートナーはいない。今後も結婚したりするかどうかはかなり疑わしい。おそらくは、いわゆる「おひとりさま」の老後を迎えるであろう。そのときに、何が私を支えてくれるだろうか。

家族以外は頼りにならない、という時代が、ずっと長く続いた。いまはどうだろうか?市場経済が高度に発達したおかげで、かつては家族から受け取っていた種々のサービスを市場から買えるようになった。経済力があれば、物理的には生きていけるだろう。

ただ、精神面はどうか。私は、インターネット上での発信が役に立つのではないかと思っている。インターネット上で自分の気持ちを正直に吐露し続けること。そして、自分の「ファン」を少しずつ増やしていくこと。数は多くなくていいし、熱烈でなくてもいい。そういう人たちがいて、そういう人たちとささやかな交流を持ち続けることが、いちばん精神的には報われる気がする。

残念ながら、家族だから、血のつながりがあるから、といって、精神的にも支えあっているか、といえば、そうでない例も多い。離婚する人たちがこんなに多いのを見てもそれは明白だろう。私は、ブログ書きとその読者くらいの距離感が案外よいのではないかと思っている。ブログのファンは、全面的なつながりではないとしても、ある一面に関して、ブログの書き手のことが好きだから読んでいるのだ。そこにあるつながりは、経済的な利害関係がない分、純粋である、とさえ言えるかもしれない。

というわけで、今後もぼちぼちブログを更新していくので、よろしくお願いします。