elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

50歳

今日6月18日は私の誕生日。 とうとう50歳になった。 50歳になってしまった、という言い方がより実感に近い。

昨日まで49歳で今日から50歳。 1歳年齢が上がったわけだが、もちろん正確には昨日は 49.997歳で今日は50.000歳になった、というだけのことで、実質的にはほとんど何も変わらない。 去年の誕生日、49歳になったときから、すでに気持ちは50歳に向かっていた。去年の秋頃にはもう50歳になった気分でいた。 私はどうも「50歳」という区切りにこだわっているらしい。 40歳でも60歳でもなく、50歳。 60歳は「還暦」と呼ばれ、世間的にはより大きく取り上げるけれども、たぶん10年後、60歳になったとしても、今ほどの感慨はない気がする。

なぜそんなに50歳にこだわるのか。 それは私には名実ともに「大人になる」ということに思えるからだ。

20歳で成人式を行う。 だが現代の日本において、20歳が完全に大人だと思っている人たちは少ない。 彼らは若者であり、まだ多分に子供っぽさを残している。

私は、若さが好きだ。若者が好きだ。子供ぽいかもしれないが、彼らの持つ、ある種の過剰さ、バランスの悪さ、カオス、といったものを愛している。たぶん、それがイノベーションの源泉になるからだろう。

20代は若者だ。 30代も現代では半分以上、若者扱いされる。 40代は、若者とは言いにくいものの、若者の最後の香りが残っている。

しかし、50代は違う。 さすがに50代の人を指して「若者」とは呼べない。 どんな基準を持ってしても、もう50代は若くない。

私が愛していた「若者ぽさ」との最終的な決別。 そして私は「大人」になる。

50代あたりから、統計的にも大きな病気にかかりやすくなる。一部の人たちは命を落とし始める。これから老化の長い下り坂を少しずつ下っていく。私はもう若者ではない以上、無限の可能性は残されていない。いままで積み上げてきた要素を磨き上げて、完成していくだけだ。それに意味がないとは言わないが、私がかつて愛していていた無限の新しい展開(そんなものは最初からなかったのかもしれないが)はそこにはない。

幼児であれ、若者であれ、大人であれ、等しく有限の命しか持たない存在であることは変わりない。しかし、大人に残された時間は相対的に短い。残り時間をより強く意識する必要がある。私の残された人生で、いったい何を残し、何を捨てていくべきか。お恥ずかしい話、それが私にはまだ整理がついていない。

まず仕事の話をしよう。

私は、いま東京のある会社で機械学習エンジニアとして働いている。この15年ほどずっとウェブエンジニアをしていたのだが、1年ちょっと前に機械学習エンジニアに転向した。

正直、経済的にはウェブエンジニアのほうがコスパは良いし、仕事の幅も広いと思う。あの手のエンジニアリングに対する需要は決してなくなることはないからだ。

対して、機械学習を仕事にするのはハードルが高い。まず、ある程度の仕事ができるようになるまでの勉強量が非常に多い。数学・機械学習理論・プログラミング。それぞれの分野で同時に高い能力を求められる。それでやっとスタートラインだ。その後も、ひたすら論文を読み、Github のレポジトリを調査して、コードを書く日々が続く。それが延々とづづくのだ。綺羅星の如く才能のある若い人たちが集まっており、彼らの仕事ぶりは迅速かつ正確だ。そういう人たちと比較対象になるというプレッシャーの下で仕事を続けなければならない。

同僚たちの能力は段違いに高い。私は、日々、泣きたいような気持ちで仕事をしている。

ではウェブエンジニアに戻りたいのか?答えはノーだ。私はもともとウェブプログラミングの決定論な世界に退屈を覚えていた。それに比べると、機械学習は面白い。何がでてくるかわからない面白さがある(もちろん、それがつらさの源泉でもあるのだが)。

初めて心から興味の持てる仕事をしている気がする。それはとてもありがたい。この先どこまでやれるのか不安もあるが、とりあえず行けるところまで行ってみるつもりである。

というわけで、幸い仕事はまずまず充実していると言っていい。

しかし、人は仕事(≒カネ)のみに生きるにあらず。

幸福度という点を考えた場合、むしろ重要なのはどれほど豊かな人間関係を持つか、という点にある。

残念ながら、今の私はこの点について及第点が取れない。

この数年間、新しい友人が作りにくくなっているのを感じる。いまお付き合いさせてもらっている友人たちは、ほとんどが5年以上前に出会った人たちだ。このままではいけないと思いつつ、忙しい日常にながされて有効な手が打てていない。

この5年間で何が変わったのだろうか?一番の変化は、本腰を入れてITの仕事に戻ったこと、機械学習という長期的な目標を見つけたこと、その結果、経済状況が非常に安定したことだ。 逆に言えば、私の中からある種のカオスが大幅に減ってしまった。「遊び」や「隙間」がなくなった、というか。

生活が自足するようになってしまって、あまり他人の存在が必要でなくなってしまったのかもしれない。以前は、他の人たちと社会や生き方について議論するのが好きだった。私がそういう議論を人生で必要としていたからだ。私はいつも何かを模索していて、新しい可能性を試そうとしていた。

ところが今は、生活に満足してしまい、他の可能性を探さなくなってしまった。それとともに、積極的に他者と話をするという動機も失われてしまった気がする。

友人を作るのに、一番良いのはおそらく趣味を共有することだ。だが、私はどうも無趣味な人間で、仕事かそれに関連する勉強をしていることが多い(唯一の息抜きは、アニメを見ることなので、これが趣味と言えるのかもしれないが・・・)。

人と付き合い、人から学ぶことは人生を豊かにするのは確かなので、何か方法は考えたい。

異性関係についても触れておこう。50代の大人が何を、という気もするのだが、私はいまだに女性に未練を残しているのを認めざるを得ない。女性とたまに付き合ってもあまり幸せな時は過ごせなかった。一度、結婚したものの、あれこれあって2年で離婚している。

おそらく、男性と女性は相補的な関係にあるのだろう。たとえどんなに面倒だと思ったとしても、やはりどこかで異性を求める気持ちは残る。本当はその気持ちに素直に応えてやるべきなのだろうが、私はあまりいろんなことをこじらせすぎて、どうしたらいいのか、いまだにわからない。

若い頃は自分は女性に人気がないと思っていた。それも事実だろうが、それ以上に私が女性を受け入れていなかったのだ。私は、うまく感情をコントロールできず、包容することもできなかった。相手がどうの、というより、私自身の問題だったのだろう。

女性との関係についてはいろいろ思うことがあるのだが、あまり決めつけをしないで、フラットな姿勢で臨んでみるつもりだ。

50代のおける抱負を考えてみようと思ったが何も思いつかなかった。 40代に入ったときも同じように抱負を持とうとしたが、たしか何も思いつかなかった気がする。正直私にとって40代はあまりぱっとしない感じ(30代の圧倒的なはっちゃけぶりと比べると)ではあるが、では、抱負を持てば何かが変わったのか、と言われれば、そんな気もあまりしない。まあ、抱負なんて持っても仕方ないのかもしれない。

ただ、目の前のことを一つ一つ丁寧に取り組んでいこうとは思っている。まずは、仕事が基本。そのうえで、人との関係は大切にする。できる範囲で、少しだけ人様の役に立てる人間にはなりたい。もっとも、あまりこの点を強調するつもりはない。自立して他人に迷惑をかけずに生きていくだけで、95%くらいは人間としての責務を果たしているからだ。

もはや若者ではなく、大人として生きていかねばならないものの、私はまだまだ未熟である。 今後ともどうかよろしくお願いします。