elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

すべてがIT化していく世界

いまビッグデータとAIを扱う仕事をしているのだが、それをやっていてつくづく思うのは、「ITは強力すぎる」ということ。毎年、計算資源はどんどん増えているのに、人類はまだそれを上手く活かせないでいる。これを活かせる人間や組織と、活かせない人間や組織では、毎年どんどん大きな差が生まれつつある。それをIT活用の最前線にいて、痛いほど感じている。

私はずっとITの仕事をそれほど面白いと思わず、正直いやいや仕事をしてきた。だが、最近、ビッグデータ・AI・ブロックチェーンの技術に触れるにつれて、いまだかつてない情熱が湧き上がってきた。

私が退屈だと思っていたのは、テキストフィールドやボタンがどうのというUIの話と、それをデータベースの決まった場所に格納する決まりきった仕事をやっていたからだった。そこから一歩踏み出して、大量のデータに対して、知的なアルゴリズムを使ってさまざまな操作を加える仕事は、想像以上に楽しかった。計算資源ギリギリの線を攻めるといろんな工夫を凝らさなければならないのだが、それを考えるのがとても面白いことに気づいた。当たり前だが、IT自体がつまらないのではなく、ITの中につまらない仕事と面白い仕事があるにすぎなかった。

最近は、ロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)という言葉が流行っているらしい。大手の銀行などはこれで人員削減をすると大張り切りである。

innovation.mufg.jp

名前は仰々しいのでどんなものかと思って調べてみたら、実際は、従来の Excel のマクロに毛が生えた程度のものらしい。

ロボティック・プロセス・オートメーション - Wikipedia

私は、むしろそんな単純作業で少なからぬカネをもらっている人たちがこんなにたくさんいたことに驚いた。プログラマというのは、単純作業をやらなければならないときも、自分でさっとツールを作って、自動処理をすることが多い。考えてみると、普通の職場にいる人たちがPCを触るとき、与えられたシステムをただ操作するだけで、それを自動化することはいままでできなかったのだ。何という不効率だろうと私は愕然とした。

将来、ユーザインターフェイスが大幅に改善して、人間が機械に語りかければ、何でもやってくれるという時代が来るのかもしれない。だが、そこまでは、人間がある程度、機械に歩み寄って、機械のわかる言葉で話しかけなければならない。コンピューターに関する知識が多ければ多いほど、それは容易にできるようになる。

だったら、基本的に誰でもコンピュータの操作法を学ぶべきではないか。単にいくつかのアプリを使えるというだけでなく、プログラミングもできたらもっとよいのではないか。

こんなに世界に計算資源が満ち溢れ、ITがものすごいものになってしまうと、すべての仕事をよりよくITでこなせる個人や組織がどんどん経済的地位を向上していくことになるだろう。プログラミングの仕事は、今でこそ、プログラマと呼ばれる一部の専門職の独占物になっているが、近い将来、多くの非プログラマたちが、何らかのプログラミングをするようになるのかもしれない。むしろ、それができない人たちは高い収入を得られなくなっていく可能性があるのではないか。

昔は、こんなふうには思わなかった。だが現在の技術・経済・社会の趨勢を見ているとそういう未来がすぐそこまで来ている気がしてならない。

私は、子供の頃、趣味でプログラミングを始めた。本当は常に別の仕事をしたいと希望していたのだが、生活するためにプログラミングをするしかなかった。決して希望してプログラマになったのではなく、消極的な理由でたまたまそうなったにすぎないのだが、どんどん経済の中核的な表舞台に押し出されてきている感がある。正直、私は本当にラッキーだと思う。たまたま買った宝くじが大当たりしたようなものだ。

学校でもプログラミング教育が始まるとのこと。これは正しい方向性ではある。学校の現場からは、「プログラミングを教えられる教員がいない」というぼやきも聞こえてくるが。実際、学校は、たいへんIT化が遅れた場所なので、これがきっかけで学校自体も大きく変貌を遂げることになるのかもしれない(いまの状況を考えるとそれは避けられない気がする)。

私にとってはとても幸運だったとは言え、本当に恐ろしい時代になったものだ。だが現実は受け入れるしかない。

ファッションとは言語であるという仮説

私は、ファッションが嫌いだ。大嫌いだ。あるいは「大嫌いだった」と言うべきか。

私は、子供の頃から服装がダサいと言われ続けた。特に、家族の女性たちから。それがあまりに辛辣だったために、深く心の傷として残っている。自分は、ダサいやつなのだ、と。ファッションセンスがゼロなんだ、と。心の奥底に深く刻まれたのだった。

私は、正直なところ、どの服を着るべきなのか、どんな髪型がよいのか、どんなインテリアがよいのか・・・という「色と形」に関する話がとことん苦手だ。私はウェブプログラマーをしているが、ウェブサイトを組み立てる技術は知っていても、ウェブサイトの見栄えのデザインはさっぱりできない。これは、私が服を選べないという話と通底する問題だろう。

何が嫌かと言えば、「色と形」の話というのは、機能性の問題ではないからだ。たとえば、服がどんな色だろうが形だろうが、服を着ていれば、一応、体温を維持し、物理的衝撃から保護するという機能は果たせる。だったら、色や形などなんでもよいではないか。いったい「流行」とか「かっこいい」とか、いったい何の話なのだ。そういう風に、小学生の頃からずっと思ってきた。

私が思春期を過ごしたのは、バブルの頃だ。当時は、奇抜なファッションが幅を効かせていた。私から見ると、ファッションなどというものは、人々に衣服の買い替えを促し、利益を上げるためだけの、商業主義の権化のようにしか見えなかった。

だが、最近になって少しだけ考え方が変わった。

歳を重ね、もともと大したことのない容貌がますます衰えていくのを自覚せざるをえない。私は、仕事柄、若い人たちと接することが多いし、これから、老人になっても、きっと若い人たちの世話になって生きていくことだろう。若い人たちに嫌われるわけにはいかない。そのためには、自分の服装に少し気を付けないといけないのではないかと思うようになった。

街ゆくお年寄りを観察しても、やはりおしゃれをしている人は、素敵だなと感じざるをない。加齢に伴って容貌が衰えていくのは避けられないので、むしろ、歳を取ってからこそ、おしゃれは必要なんだろう。

自分がどんな格好をしたらいいか全くわからない、と先ほど述べた。だが同時になんとなく「この人はおしゃれだな」というのもわからなくはないのである。これは確かに矛盾しているのだが、実際そうなのだ。だから、私は、この「ファッション」という現象に対して、正面から向き合わなければならないと思った。自分らしいやり方は、徹底的に理詰めでこの現象について理解することだ。

だからこんな本も読んでみた。

ドン小西のファッション哲学講義ノート (モナド新書008)

ドン小西のファッション哲学講義ノート (モナド新書008)

この人は、もともと金持ちのボンボンだったのだが、ファッションが好きで、自分で服を作り始めるようになった。一時は、たいへんな売れっ子だったのだが、時代が変わったときに、自分のこだわりが強すぎて、売れ筋の服を作らず破産したという気骨の人物である。彼のファッション哲学はなかなか興味深かった。だが、それでファッションが理解できるようになったかといえば、やっぱりそんなことはない。

ただ、この本を読んでおぼろげな仮説が浮かんできた。それは「ファッションとは言語である」というものだ。

人類は、進化の過程で体毛の大半を失ってしまった。気候に適応し、物理的衝撃から守るためには、何らかの物質で身体を包むしかない。もちろん、最初の目的はそれだけのことだった。問題は、「何らかの物質で身体を包む方法」が一つに定まらなかったことだ。無数の方法があった。さまざまな素材、さまざまな色、さまざまな形。人間というのは、こういう恣意性があると、それを徹底的に利用し尽くす傾向がある。

それは言語とよく似ている。言語は、たぶん叫び声から始まった。それが少しずつ分かれていき、様々な音が様々な意味を表現するようになった。ただ、その音と意味の組み合わせは完全に恣意的である。昔、言語学の本にそんなことが書いてあった気がする。文字だってそうだ。ある形が文字として使われて、言語の中である役割を担う。「あ」という発音が、「あ」と書かれようが「a」と書かれようがどちらでもいい。その組み合わせは完全に恣意的である。歴史的な偶然でたまたまそうなったにすぎない。ただし、一度関係が確立してしまえば、その文字の使われ方はその言語の中で固定される。

ファッションというのは、おそらくは衣服を用いた言語の一種なのだろう。それが時代によって変遷するのは、言語において、語彙が変遷するのに似ているのかもしれない。「流行語」などという言葉もある。私が、ファッションを忌み嫌ったのは、ある全く同じ格好がある時代ではかっこいいのに、別の時代においては流行遅れのかっこわるいものとして扱われるという恣意性が気に入らなかったからだ。でも、もともと「色や形」とそれが表現する「意味」の結びつきが恣意的なものだとすれば、それもやむを得ないことなのかもしれない。日本語だって、平安時代と現代では、語彙も文法も全然違う。なんで同じことを表現するのに、平安時代はこういう風に言って、現代ではああいう風に言うのか、などと文句を言っても、「それはそういうもの」としかいいようがない。

私は、さながら中学時代に英語の授業に落ちこぼれて、以降英語がまったくわからなくなってしまった人のようなものなのかもしれない。あるいは、小学時代に分数の計算がわからないまま、大人になってしまい、複雑な数式を目にすると狼狽してしまう人みたいなものなのかもしれない。私は、どういうわけか、子供の頃、「ファッションの文法」を理解しそこねた。そのまま、大人になってしまったものだから、おしゃれな人たちが身体を使って表現する言語の意味がまったく理解できないのだ。

だから、これから私は、ファッションを一つの外国語だと思って学んでいこうと思っている。私は、幸い、言語を学ぶことは大好きだ。この類比が正しいのかどうかはわからない。ただ、当面、この仮説に従って行動し、若い人たちにせめて不快感を与えない程度の服装を身につけようと考えている。

結局、これはコミュニケーションの問題なのだから。「私は、あなたの存在を認知していますよ、自分は安全な存在ですよ」という社会生活上、最低限のメッセージは、ファッションを通じて発信していくべきじゃないだろうか。

バレンタインデーの思い出

今日は2月14日、バレンタインデーである。

この日の本来の意義は知らないが、日本では「女性が意中の男性にチョコを贈る日」となって久しい。私は、半世紀近く生きているが、子供の頃にはすでにそうだった。

私は、イケメンでもなく、行動力があるわけでもなかったから、学生時代、女性には全くモテなかった(まあ、その後も、たいしてモテていないが(笑))。それでも、バレンタインデーにたまたま女友達に会えば、義理チョコくらいもらっていた気がする。チロルチョコとか数十円くらいの小さなものを。そんなものでも私はとても嬉しかった。

他の男性がどう考えているかは知らないが、私にとってはバレンタインデーは自分の男性性が証明される日であった。女性からチョコをもらえば、たとえそれが小さな義理チョコであっても、「私は男として認知されている」と少しだけ自信を持てたのだった。

そんなバレンタインデーではあるが、数年前、私は家で引きこもって仕事をするようになった。そうなると当然ながら女性には出会わない。女性と物理的に会わないのだから、チョコがもらえるはずがない。でもチョコがもらえないとやきもきする。あるとき、ふと気がついた。「だったら自分で自分にチョコを買えばいいじゃないか」と。もちろん、これはチートである。女性が私にチョコをくれないのだから、自分の男性性が認められたわけではない。自分でチョコを買っても、「認められた」というかすかな錯覚を得るだけである。それでも、歳を重ね、恋愛感情が遠いものとなり、バレンタインデーが乗るか反るかの切実さ失うにつれて、自分が自分に送ったチョコは、かすかな青春の思い出を運んできてくれた。少しだけうきうきした。

自分に贈るチョコは、2月14日には当然買わない。もちろん恥ずかしいからである。その一週間前くらいに仕込んで、自分の部屋の片隅に大切にしまっておく。そして、2月14日が到来したとき、苦いストレートのコーヒーを片手に、自分に贈ったチョコレートを食べるのである。

私がチョコにこだわるもうひとつの理由は、たぶん単純に私がチョコが好きだからだろう。私は、基本的に甘いものが好きだ。だから、チョコをもらうと純粋に嬉しい。チョコを食べるのが好きだからだ。たぶん統計を取れば、男性より女性のほうがチョコ好きが多いだろう。だから、チョコが嫌いな男はそれなりにいるだろう。彼らがチョコをたくさんもらっても処分に困るかもしれない。なかなかうまく行かないものだ。

世の中にはいろんな人たちがいるのが常だ。きっと子供の頃から女性にモテモテの男もいるだろう。そういう男は、きっと小学生のころから、バレンタインデーには女子からたくさんチョコをもらい、思春期以降はガールフレンドに事欠かない人生だったのだろう。知り合いにはいないけど、絶対にそういう男はいるに違いない。自分の人生とは隔絶しすぎていて、どんな気分なのか想像もつかない。若い頃の私なら、きっと死ぬほど羨ましいと思っただろう。ただ、この歳になると、きっといいことばかりではないのだろう、と想像したりする。まあ、やっかみがゼロとは言わないが、実際、ある種のリソースが豊富にあることは、自動的に幸福を約束しないのだ。たぶん、私の想像は間違っていない。

頭が良くてどんな大学にも簡単に合格する人もいる。あるいは、金持ちで何でも自由に買える人もいる。彼らが幸せかという、必ずしもそうではない。そういうリソースを持たない人間から見れば羨ましいかもしれないが、そういう「持てる」人たちは、持たざる人たちには想像もできない苦労がいろいろあったりするものだ。確かに神は人を不平等に作ったが、それによって幸福か不幸か自動的に定まらないようにもした、という意味では案外に平等なのかもしれない。

私は、最近、自宅で仕事をするのを止めて、外にあるオフィスに通うようになった。私は、自分のためにチョコを買って用意していたのだが、意外なことに、今年はオフィスで義理チョコをもらってしまった。義理チョコというより、男性にはみな平等に配られたという意味で「チョコの配給」という感じであったが。私は、まず自分で買ったチョコを食べて、もらったチョコはそのままにしてある。やはり人からもらったチョコはあまりに尊いので、簡単に手を付けることはできないのだ。もし部屋に神棚があったなら、祀っていただろう。男で良かったと思った。チョコ万歳、バレンタインデー万歳。お返しのことを考えるとなかなかつらいけれども…(笑)。

社会保障としてのブログ書き

ブログを書かなくなって久しくなる。私は、Twitter のほうは相変わらず更新しているのだが、どうもブログは億劫で書く気があまりしなかった。その億劫さの理由についていくつか書いていきたいと思う。

私は、かつて、よくブログを書いていた(はてなダイアリー)。ブログを書くのは大変だったけど、それなりに読んでくれる人たちもいたし、その反応を見るのは楽しかった。コメント欄も自由に開放していて、激励のコメントもあれば、どうしようもないコメントもあった。まあ、そういうもの一切をひっくるめて、私は結構ブログ書きを楽しんでいた。

私がもっとも熱心にブログを書いていたのは、2009年から2010年にかけて、ベトナムに住んでいた頃だった。あの頃は、ろくに仕事もせずに、日々、遊び暮らしていた。日本人とすらほとんど会わなかった。まったく日本とは別の世界にいたから、日本語話者のことを何も気にせずに、日本語でいろいろ書けたのだ。

いまは違う。私は6年ほど前に、日本にほぼ完全に戻ってきて、それから、ほとんど海外に行っていない。いま話をする人たちもほとんどは日本人だし、日本の会社と取引をして、日本円にお金をもらい、それで生計を立てている。いまは、穏やかな暮らしをしているので、正直、昔みたいに何でも正直に言って、炎上上等、みたいな生き方はしんどい。まあ、単に歳を取ったということもある。

日本で、日本人に取り囲まれて、日本語で発信するのはやはり窮屈だ。日本は、どういうわけか世界でももっともプライバシーにうるさい国の一つで、うっかり他の人の秘密でも話してしまおうものなら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになることは目に見えている。そうでなくても、私はいまはそれなりの責任を負って、仕事をしていて、守秘義務もいろいろ負っているので、もちろん、その周りのことも話ができない。私生活でも、他の人たちから、「これは秘密にしておいてほしい」と頼まれている事柄もいろいろあり、それについても話ができない。まあ、そんなことは当たり前の話に聞こえるかもしれないが、かつて、ベトナムで何の秘密もなく気軽に発信していたころを思うと、いろいろ面倒ではある。

というわけで、いろいろ制約は生まれてきてはしまってはいるのだが、これからも言える範囲で、いろんなことを話していきたい。そして、できれば、その「言える範囲」を少しずつ広げていきたい。時には、炎上覚悟であえてきわどい話題について言及しなければならないときもあるのかもしれない。いまはまだそのエネルギーがないのだが、少しずつエネルギーを蓄えてそういうことも話していきたい。

私は、いま異性のパートナーはいない。今後も結婚したりするかどうかはかなり疑わしい。おそらくは、いわゆる「おひとりさま」の老後を迎えるであろう。そのときに、何が私を支えてくれるだろうか。

家族以外は頼りにならない、という時代が、ずっと長く続いた。いまはどうだろうか?市場経済が高度に発達したおかげで、かつては家族から受け取っていた種々のサービスを市場から買えるようになった。経済力があれば、物理的には生きていけるだろう。

ただ、精神面はどうか。私は、インターネット上での発信が役に立つのではないかと思っている。インターネット上で自分の気持ちを正直に吐露し続けること。そして、自分の「ファン」を少しずつ増やしていくこと。数は多くなくていいし、熱烈でなくてもいい。そういう人たちがいて、そういう人たちとささやかな交流を持ち続けることが、いちばん精神的には報われる気がする。

残念ながら、家族だから、血のつながりがあるから、といって、精神的にも支えあっているか、といえば、そうでない例も多い。離婚する人たちがこんなに多いのを見てもそれは明白だろう。私は、ブログ書きとその読者くらいの距離感が案外よいのではないかと思っている。ブログのファンは、全面的なつながりではないとしても、ある一面に関して、ブログの書き手のことが好きだから読んでいるのだ。そこにあるつながりは、経済的な利害関係がない分、純粋である、とさえ言えるかもしれない。

というわけで、今後もぼちぼちブログを更新していくので、よろしくお願いします。

海外に対する思い

パスポートを確認してみたら、私はもう4年以上海外に出ていないことがわかった。4年間。長いものである。最近では海外どころが関東からさえも外に出ていない。

私は本当に物欲がない。今風にいえばミニマリストというところだろう。こんな私がただひとつ抱いているのが、海外への思いである。私は、海外に住みたいのだ(海外旅行ですら十分ではない)。それが唯一の欲望であった。

なぜ4年間も海外に行っていないのかといえば、かつて海外に行きすぎて、破産しかけたからである。海外との関わりは、私を経済的に豊かにはしなかった(精神的には満たしてくれたけれども)。それで4年前、財務を立て直すために、海外に行くことをやめたのである。

いまは日本社会で安定した仕事も持って、経済的には満たされるようになったものの、精神的には満たされないものをいまだに抱えている。

日本社会にはいいところがたくさんある。それを認めないのはフェアではないだろう。だが、それでも私は満たされないものを感じている。これは、良い悪いの問題ではなく、マッチングの問題なのだ。

私が、日本社会で不満を感じるのは、ほぼ日本人だけの均質的な社会であること、集団のために個人が犠牲にされる傾向が強いこと、英語ができず考え方が内向きなところ、仕事の進め方が合理的でなく長時間労働を強いられること等々だ。その中のいくつはいずれ変わっていくだろうが、多くはそのまま残るだろう。良くも悪くも日本はそういう国なのだ。

日本にもいいところはある。治安がよく安全だし、さまざまな顧客サービスのレベルが非常に高い(もちろん従業員の犠牲の上に成り立ってはいるとはいえ)。お客さんとして住むにはよい国なのかもしれない。

日本の本質が変わるのは無理だし、その必要もないと思う。それが世界の国々の中での個性というものだ。実際、こういう日本が好きで、やって来る外国人たちも大勢いる。日本が変わってしまうことで、彼らを失望させるのも忍びない。

その一方で、日本に生まれ育ちながら、日本社会に強い違和感を覚えている日本人もいる。そういう人たちは、なるべく外国に行ったほうがいい。ただ、これは言うほど簡単でない場合もある。たとえば私にとっての困難は、海外で長期に安定して住むためのビザ(査証)が取りづらいという点にある。海外で働くためにいちばんよい方法は、大企業の海外部門(現地企業)で働くことだ。国家は、大企業を信頼しており、比較的容易にビザが取れることが多い。ただ、いままでの私は、企業(特に大企業)で働くことを避けて通ってきた。できれば、フリーランスとして海外に住みたかった。だが、それは現実にはほとんど不可能だ(もちろん、非合法な形で海外に滞在することは想定していない)。

私が海外との関わりを事実上断っていたこの4年間にも多くの出来事があった。シャープの海外企業への身売りに象徴されるように、日本の製造業の凋落が誰の目にもあきらかになった。各種指標は、世界の中で、日本の相対的地位が下がり続けていることを示唆している。一部の若い人たちは、海外での学んだり働いたりすることを真剣に検討し始めている。これらの動きを日本社会に新しい風を吹き込むものとして、私は肯定的に捉えている。

私も、そろそろ短期の海外旅行をするあたりから、ふたたび海外との関わりを取り戻そうか、と考え始めている。

年齢に対する新しい考え方

私は、今年6月に47歳になる。もう50歳まで3年となった。自分が子供のころ、50歳と聞けばかなり老いた印象があったが、当時のイメージに比べると自分がそこまで年老いた感じはまだしない。

「○○歳の平均余命」とは、「○○歳の人が平均してあと何年生きるか」という数字である。

男性の平均余命 0歳 20歳 40歳 65歳 75歳
1960年 65.32 49.08 31.02 11.62 6.60
2010年 79.64 60.07 40.81 18.86 11.58

これは、厚生労働省が発表している平均余命の推移からの抜粋である。1960年から2010年にかけて、20歳の人の平均余命は、49年から60年へ約11年伸び、40歳の人の平均余命は、31年から41年へ10年ほど伸びている。概して男性は、この50年間で、約10年ほど寿命が伸びていると言えるだろう(女性に関しても同様の傾向があり、かつ、男性より常に余命は長くなっている)。平均して、1年に 0.2 年ずつ余命が伸びている計算になる。

これについて別な言い方をすれば、1年余計に歳をとっても、0.8(=1-0.2)年分しか死に近づかないということである。たとえば、2010年において40歳の男性は平均してあと約41年生きることになっているが、おそらく現実にはさらに長く生きることになるのではないだろうか。

私たちの年齢に対する感覚は主に子供のころの大人たちの言葉に影響されて形成されてきた。「○○歳になったら結婚するものだ」「○○歳になったらもう転職は出来ない」「○○歳になったら新しいことには挑戦するのは無理だ」等々。私は、年齢が人生上の意思決定に無関係とは言わない。人間も生物である以上、一定の時間をかけて成熟した後、一定の時間をかけて老化していき、やがて死に至るのはやむを得ない。ただ、最近は栄養や医学の向上によって、平均余命が伸びて、より健康に長く生きることができるようになってきているのも確かだ。だから、私たちが持っている常識を常に補正しながら考える必要があるだろう。

もし常識というものが、過去のある時点では真実だった知識だとすれば、ひょっとしたら、私たちが年齢に対して持っているイメージは例えば50年前の平均余命に基づいているのかもしれない。だとすれば、私たちが「○○歳ならこれこれすべき」と思っているその「○○歳」から10歳くらいを引くとちょうどよいのかもしれない。つまり、今の50歳は昔の40歳であり、今の40歳は昔の30歳くらい、というわけだ。

そう考えると、私は今年47歳になるけれども、50年前の37歳とほぼ同等というわけだ。それならば、まだまだ働き盛りであり、どんどん新しいことも覚えていかなければならないだろう。

私は、日本社会にうまく馴染めず、組織に長期間所属することができなかった。結果として、私は、組織の中で出世することもなく、管理職に就くこともなかった。管理職に就けなかったから、私はずっと現場の仕事(=プログラミング)しかできなかった。

しかし、「人間万事塞翁が馬」とはうまく言ったものだ。私は、いわゆる「偉い人」になって下からちやほやしてもらうということがなかったので、見栄を張る必要がなく、いつでも気兼ねなく新しいことを覚えるため初心者に戻ることができた。組織の上に行けなかったために、いつでも自分より若い人たちと一緒に仕事をして新しいアイディアを吸収することができた。現場仕事ばかりしていたために、市場価値の高い技術力をずっと維持することができた。

高齢化社会」に対する世間一般のイメージは明るいものではないかもしれない。ときに高齢者が疎まれてしまうのは、過去の物事に固執して若い人たちを悩ませるからだろう。だが、人々の寿命が伸びるこれからの時代は、高齢者のほうが若者に歩み寄る必要があると思う。私は、中年になって、古い事柄に固執する人たちの気持ちも理解できるようになった。これは「特定の環境に対する過剰適応」なのだ。「いままで長時間投資してきた、ある特定の環境においては、非常に高いパフォーマンスを発揮するが、それ以外の環境に適応する能力を失った状態」と言いかえても良い(機械学習における「過学習」状態にちょっと似ている)。

こういう状況に陥らないためには、定期的に自分が慣れた環境を自ら壊してみる必要がある。感覚的にいえば、環境の20%程度の部分は絶えず変化させていくべきだ。そうすることで、変化に対応する能力を失わずに済むようになるだろう。

かつて、高齢者は希少な存在だったから、若い人たちに敬ってもらえた。だが、これからは数も多いから、高齢者というだけで尊敬してもらうのは無理だし、高齢者自身がよい社会の一員たるべく努力する必要があると思う。高齢者も周囲の人たちも意識を変えていく必要がある。私は、過去の価値観を振り回し、若者の揚げ足を取るような高齢者にはなりたくない。願わくば、自分の気力や体力が衰えていくのは受け入れつつも、自分のできる範囲で絶えず新しいことに挑戦しつづけるような高齢者になりたい。

というわけで、いまは私は機械学習に関する知識を吸収しているところだ。上でも述べたとおり、私はいままで何十回と仕事や住む場所を変えてきたおかげで、中年になっても、新しいことに挑戦するためらいがない。私は、本当に運がいい。今年は、なんとか機械学習関係の仕事を始めたいと思っている。これからの社会は指数関数的に多くのデータを生み出すようになっていくし、それを処理する計算資源もどんどん増えていくから、データから有用なパターンを見出す機械学習に対する需要はますます高まるだろう。なにせその先にある(汎用)人工知能は、たいへんロマンがあるし、一生を捧げるに値するテーマだと思っているから。

徒然なる思い

昨日、そういうタイトルでブログをはてなダイアリーで書いていた。

私にしては珍しく、ブラウザー上で直接書いていたのだったが、ちょっとした技術的な手違いでその文章を失ってしまった。それで私は最終的に踏ん切りがついた。「はてなブログへ移動しよう」と。

だから、これからははてなブログに文章を書いていこう、と思う。

私は、長い間ブログが書けなかった。

約10年前、私は外国に行き、そこでブログで言いたい放題言った。 6年前、日本に帰ってきたが、その後もいろんなことを試した。比較的うまく行ったこともあまりうまく行かなかったこともあった。そこで私は無数の人たちと出会い、いろんな話をした。それはとても楽しかった。私は、ときに怒りを覚えることもあったけれども、自分の気持ちに素直に正直に生きていたと思う。

この生き方にはひとつだけ欠点があった。うまくカネが稼げなかったことだ。

私は、どうしてもうまく稼げずに、貯金が底を尽きかけた。私は、フリーランスのソフトウェアエンジニアとして再び働く決心をした。幸い顧客に恵まれ、いまはすっかり経済的に安定するようになった。ただ、この金欠への恐怖はいまだに心にこびりついている。だから、経済的な面で私はだいそれたことを言うつもりもないし、言うべきでもないと思っている。

金欠は私にいろいろ大切なことを教えてくれた。私は、現実が見えていないという意味で傲慢だったのである。謙虚さを欠いていた。

謙虚であることは、萎縮したり、受け身であることは違う。ただ、私はいままで謙虚に現実を見つめながら、主体的・能動的に生きたことがないので、どうやったらそれができるのかよくわかっていない。きっと最初からうまくやれるなんていうことはないのだろう。少しずつやっていくしかないのだろう。

私はいま機械学習に興味を持っている。

中学時代に人工知能に興味を持っていたのがその原点だ。 また、大学時代に学んだ経済学とも接点がある。 私は、ずっと経営というものに興味があり、それゆえに米国公認会計士の資格を取ったのだが、それとも接点がある。

最近、私は Coursera という米国の有名なオンライン学習サイトで機械学習のコースを修了した。 qiita.com

私はいままでウェブ制作の仕事をしてきた。だが、今後は徐々に機械学習方面に仕事を移していきたいと考えている。

正直、機械学習分野は、仕事としてはどういう状況になっているかはよくわからない。そもそもフリーランスとして働くことが可能なのかどうかも。いずれにしろ、私は、この分野の学習をし、その成果をインターネット上に発表し、勉強会等の出席することで、少しずつ仕事のつながりを作っていくつもりだ。