日本の医療システムは新型コロナウイルスにどこまで耐えられるか
お断り
これは全く医療とは無関係の個人的試算であり、なんら真実性を保証するものではないです。 正確な情報については、厚生労働省等、公式の機関の発表を見てください。
本文
以下の数字は概算の推定です。私は全くの素人なので、だいたいオーダー(桁数)が合っていればいいかな、くらいの感覚で計算しています。具体的な推定値には特に意味がないと思っていただいたほうがいいです。専門家からのツッコミをお待ちしております。
日本では肺炎で亡くなる人が年間に12万人程度います。 www.tokyo-eiken.go.jp 肺炎の他に誤嚥性肺炎というのがあるのですが、とりあえずこれはよくわからないので無視します。これで亡くなる人も4万人くらいいるのですが。
肺炎の入院患者死亡率はだいたい9%程度です。ということは、12/0.09 = 年間133 万人ほど肺炎入院患者はいるということになります。 http://www.seirei.or.jp/hamamatsu/hama/clinical_indicator/PDF/41.pdf
平均2週間入院するとします。
計算を簡単にするために1年=50週とすると、133万人/(50/2) = 5.3万人くらいが平均して入院しているのではないかと思います。
なんで平均は5.3万人といってもピーク時にはその2倍の10.6万人くらいの肺炎入院患者は普通にいると思われます。 (肺炎は冬に多く夏に少ない病気だそうで、そのグラフをどこかで見たのですがいま見つけられない)
仮定に仮定を積み重ねた拙い数字ですが、これが正しいとして日本の医療機関は同時に11万人程度の肺炎患者を同時に扱えるとします。 これは適当な数字ですが、オーダーとしてはこれくらいではないかと思います。
インフルエンザの流行の最盛期では同時に200万人くらいが感染します。 www.nippon.com
新型コロナウイルスの感染者の5%が入院が必要なくらい重症化するとします。 仮に新型コロナウイルスに同時に100万人が感染するとその5%の5万人が入院が必要な程度の肺炎にかかります。
もし医療側のキャパシティが11万人だとすると、他の原因の肺炎患者も当然いるので、なんとか工夫すればギリギリ対応できるかな、くらいの感じでしょうか。 オーダー的にはそんな気がします。
かりに同時に1000万人感染してしまうと、5%が50万人ですから、もう無理ですね。これは医療崩壊コースです。ただ、2009年新型インフルエンザのときでさえ、そこまで同時に感染が起こらなかったようなので、そこまで心配しなくてよい気がします。 ja.wikipedia.org
逆に同時に10万人程度の感染であれば、5%は5000人ですから、問題なく医療システムが対応できることになります。
・・・と推測に推測を重ねて来ましたが、一番、脆い仮定は「日本の医療機関は同時に11万人程度の肺炎患者を同時に扱える」という部分ですね。 本当にそこまでキャパシティがあるのだろうか?
もしここらへんの事情に詳しい方がいらっしゃれば是非教えてください。
仕事と休暇の融合・ワーケーション
ワーケーション、という言葉があるのを初めて知った。要するに work + vacation → workation ということで、「仕事と休暇の融合」ということだ。
ワーケーションという言葉は「ワーク」と「バケーション」を組み合わせたできた造語です。意味としては「働きながら休暇をとること」。主に旅先での仕事を認めるという意味合いが強いです。
「ワーク(仕事)」と「バケーション(休暇)」を組み合わせた造語。オフィスを離れ、どこかで休暇を過ごしながら働くことだ。「ワーケーション」という言葉そのものは、2000年ごろにアメリカで生まれたとされ、近年働き方が多様化してきた影響で世界中に広がっている。
前回のエントリで私は、近い将来「海外リモートワークへの移行」を果たしたいと述べた。
もしリモートワークが可能になったら理想的には次のような生活をしてみたい。
基本は東京(またはその近郊)でリモートワークを行う。 そして、ときどき(年に4回〜6回)ほど、海外に行って働く(1回につき1週間〜4週間程度)。 基本的に、行くたびに訪れる国は変えて、同じ国に行くのは多くて年に2回程度とする。
このライフスタイルは、 だいたいワーケーションという言葉で表現できるかもしれない、と思った。もちろん、ワーケーションが Work + Vaction である以上、その構成比率は問題になる。 ワーク中心なのか、バケーション中心なのか。私は、海外に滞在しても週5日働くつもりなので、ワーク7, バケーション3くらいの比率となるだろう(これは東京に住んでいても同じだ)。
日本を拠点にするのはいろんな理由がある。私は何度も海外に長期間連続滞在したことがあるが、日本国籍を持つ人物が日本を長期間離れるのは、あらゆる意味で面倒くさい。日本の諸制度との折り合いもあるし、海外に滞在するビザの問題もある。21世紀初頭の時点で、人々が海外に行くいちばん無難な方法は、短期間、観光客として滞在することだ。ワーケーションはまさにその意味で理にかなっている。
LCCが発達して、海外に安価に移動できる今日、1ヶ所に定住する「移住」を行う必要は薄れている。それは、命がけで船で何ヶ月も掛けて海外に移動した昔の固定観念に過ぎない。いずれ世界にはパスポートもビザもなくなって、地球上のどの土地に生まれた人も、地球上のどこにでも自由に住み働ける時代が来るとは思うが、それまでは、自分が法的に一番安定していられる場所に本拠を置くのがもっとも苦労が少ない。
ほとんど日本に戻らずに、何年も海外を彷徨っている kumi さんという方がいる。
彼女からは「定住しない」というヒントをもらった。同じことを私は日本から世界各地を往復することで達成するつもりだ(当たり前すぎて、あまりロマンチックではないけど・・・)。
海外リモートワークへの移行
先日、私はタイ北部の都市、チェンマイを訪れた。そこで私は海外のリモートワーカーたちの集団に出会った。多くは欧米人でどうやら本国の仕事を物価の安い国(たとえばタイ)でやっている、ということらしい。彼らは「デジタルノマド」と呼ばれることが多いことも知った。
チェンマイにはそういうデジタルノマドたちを受け入れるカフェやコワーキングスペースがたくさんあった。以下は私が訪れたカフェやコワーキングスペースの一部である。
Ombra Caffe
CAMP
私は彼らデジタルノマドたちをうらやましく思った。
私は、もともと海外に暮らすが好きな人間である。カナダで4年、ベトナムで2年半暮らしたことがある。「海外移住」は私の唯一の趣味と言ってよい。
私は正直海外に「旅行」することにはあまり興味がない。いわゆる物見遊山の旅行である。観光地を回ったり、買い物をしたり・・・等々。そうではなくて、私は海外で生活したいのだ。現地で暮らす人たちと同じ目線でいろんなものを見たり経験したりする。それが私のやりたいことだった。
そういうライフスタイルを確立するためには、現地で仕事をすることが必要になってくる。しかし、海外で働くことはなかなかハードルが高い。現地で仕事を探すのはいろんな意味で難しいからだ。
しかしデジタルノマドたちはリモートワークすることでその問題を解決してしまっている。地球上、どこにいてもインターネットがつながっているだけで仕事ができる。なんて素晴らしいのだろう、と私は思った。
日本に帰ってそういうライフスタイルを実現するためにはどうしたらいいか考えた。
リモートワークに関するイベントに参加した。
Everforth everforth.co.jp
というリモートワークで先進的な取り組みをしている3社の社長さんが登壇して、興味深い話をしてくださった。実践的でたいへん興味深い話ばかりであった。
その後ネットを検索すると
Remote Work Labo www.remotework-labo.jp
という興味深いメディアも見つかった。それもそのはずこのオンラインメディアはソニックガーデンさんが中心に運営しているものらしい。リモートワークに関して先進的な取り組みをしている会社さんへのさまざまなインタービューが掲載されている。
私自身の経験をいうと、3年間ほどほぼフルリモートで働いていたことがある。都内のある会社さんと組んでフリーランスで働いていたときのことだ。私は Ruby on Rails で受託開発の仕事をしていた。通勤とは無縁で、生活のリズムを自分で組み立てられるリモートワークは私にとってはとても快適だった。
いまは別の会社で正社員として働いている。機械学習エンジニアとして、自然言語処理関係の業務に携わっている。正直、いまの会社は SNS 周りの扱いに弱く、私もネット上ではこの会社とのつながりを伏せている。またリモートワークに関してもあまり積極的とは言えない。機械学習の分野では有名な会社であり、いろいろ良心的なホワイトな職場ではあるが。私は、とりあえずこの会社で精一杯いろいろやってみるつもりだ。リモートワークについても時機を見て提案してみたいと思っている。
だが、どうしてもここで自分の夢が実現できないようであれば、転職も視野に入れようと思う。 フルリモート可能という働き方はそれだけ私にとっては魅力的だ。
もしリモートワークが可能になったら理想的には次のような生活をしてみたい。
基本は東京(またはその近郊)でリモートワークを行う。 そして、ときどき(年に4回〜6回)ほど、海外に行って働く(1回につき1週間〜4週間程度)。 基本的に、行くたびに訪れる国は変えて、同じ国に行くのは多くて年に2回程度とする。
デジタルノマドとして暮らすのに適した都市は、世界に多くある。私は温暖な気候が好きなので、たぶん多くの場合、東南アジアに行くことになるだろう。 タイのチェンマイ。私の第二の故郷、ベトナムのホーチミン(サイゴン)。行ったことはないが、インドネシアのバリや、マレーシアのペナンも有名らしい。
私がタイで出会ったデジタルノマドは、みなよい身なりをしたプロフェッショナルたちだった。仕事に対する妥協はなく、ただ、自分の生活のしやすさや新しい刺激をもとめて、東南アジアに来ているようだった。私も、海外で羽目をはずした生活をするつもりは全くない。東京にいるのとまったく変わらず、自分の仕事と誠実に取り組み、真面目に暮らすつもりだ。ただ、それが海外であるという違いでしかない。
ある人たちは、家を買い、一定の場所にずっと暮らし続けることを選ぶ。日本は保守的な社会でこういう人たちが称賛されることが多い。だが、昔から旅しながら生活する人たちもいた。ある種の商人・漁民・遊牧民等々。私にはどうやらそういう遊牧民=ノマドの血が流れているらしい。一箇所にずっといると自分の血液が停滞するのを感じる。こういう遊牧的な暮らしはなかなか理解されにくいのかもしれないが、これも一つの立派な生き方であることを自分の人生を通じて証明したいと私は考えている。
台湾旅行 2019-05
TL;DR
- 2019-05-02 から 2019-05-07 まで台湾訪問
訪れた都市
- 高雄(メイン)
- 台北
使用交通手段
-
- 現地 SIM + Google Maps 最強
- LCC 便利
- Backpacker の都市間移動には高速バスが便利
個人的感想
- 台湾人優しくて好き
- 中国語熱再燃(?)
- 今後も定期的に海外に出たい
写真
地下鉄美麗島駅
高雄市で一番高いビル(85スカイビル)からの眺望
六合国際観光夜市(ナイトマーケット)のにぎわい
高雄市歴史博物館
高雄市立美術館のアート
監視カメラの前で「微笑してね」。台湾人のユーモア。
高雄
雰囲気
- 高雄市は人口200万人で台湾第三の都市だが、整然としていて、とても歩きやすかった。
- 年中気温が高いせいで開放的な作りの店が多く、かつ、バイク(ほぼ100%スクーター)が多いので、雰囲気がベトナムにとても似ていた。
- いわば「看板が漢字で、秩序があるベトナム」という感じ
- 日本と同水準の生活が期待できる
訪れた場所
- 高雄市歴史博物館。これは、日本統治時代の高雄市役所をそのまま使用しているらしい。展示では、日本統治時代をことさらに悪く言う風ではなく、日本が近代的な教育を台湾にもたらした点に関しては素直に評価していた。また、228事件という独立直後の台湾にとって非常に不幸な事件について、真摯に反省して未来につなげようという強い意志を感じた。こうした一連の態度に私は知的な誠実さを感じた。
高雄市中央図書館は、極めておしゃれ。敢えて例えれば、代官山にある「蔦屋書店」みたいな感じ。
- そういえば、ツタヤは日本で実際にいくつかの公共図書館の運営を受託しているみたいだけど、実際のところはどんな感じなのだろうか?
高雄市立美術館も、台湾の芸術家の作品を中心とした個性的な展示が行われておりとてもよかった。日本の美術館とコラボした特別展などもあった。
交通
- 地下鉄が南北と東西に伸びている。地下鉄は10年前に作られたばかりなので、とても綺麗で快適。
- 地下鉄は飲食が厳禁。私は水を飲んでいるだけで、ガードマンに注意された。飲食を自由にするとその分汚れやすく掃除の費用もかかる。飲食完全禁止というのは案外合理的かも。
- 地下鉄は初乗りが20元(約80円)であり、激安である。
宿泊施設
- 宿泊したのは日本人経営の「あひる屋」というホステル。美麗島という東西の地下鉄の交差点にあるので、とても便利な立地。内装も現代的でとてもおしゃれ。共有スペースにあるテーブルはカフェのようだ。とても快適な宿だった。
- あえて残念な点を言えば、人はこういうきれいなところにいると、あまり羽目をはずさない。いかにも今風だが、みんなPCとスマホを相手に黙々作業をしており、宿泊者同志の交流があるようには見えなかった。いっそのこと、宿泊者用の slack チャンネルでもあればよかったか?(笑)
食事
- 食事は安くてうまい。特に屋台風の昔の店で食べると安い。100元(400円)もあれば腹いっぱい食べられる。朝食の店はそこら中にあるし、夜もナイトマーケット(夜市)で食べればいいし。
- 至るところにセブンイレブンがある。それよりずっと数は少ないが ファミリーマートもあった。セブンイレブンは日本とほぼ同じ構成だが、おでんや中華まんを客が自分で選んでレジに持って行くところは違う。これは省力化につながるので、日本も真似すればいいのにと思った。
- セブンイレブンには日本の菓子やお茶がたくさん売っている。日本語のままのものもある。私は龍角散の飴を約50元(200円)で買った。日本だと100円で売っているものである。
台北
- いろいろ考えた末、結局、再びアロハバスを利用。今回は空調の温度はちょうどよかったが、トイレのすぐ後ろの席になってしまい、足が伸ばせず少し窮屈だった。トイレのそばの席には座らないほうがよいという知見を得た(いつこれが再び使えるのかわからないが)
- 台北の宿泊先は「あかり」というゲストハウス。もともとは「おおしろ」という名前の日本人経営のハウスだったが、いまは台湾人女性のオーナーに変わっている。ただ、雰囲気はそれほど変わっていない。昔ながらのゲストハウスである。台湾人オーナーが接客してくれたが、あたたかみのある人だった。
- 台北はやはり高雄よりずっと人や車が多い。ほとんど東京と変わらない雰囲気。新しい店が多く、伝統的な古い台湾風の店はだいぶ少なくなっている印象(台北駅の周りだけの話なのかもしれないが)。
テクノロジー
USB 充電器
- 台湾には至るところに充電器がおいてある。特にスマホに直接つなげられる USB 充電器は街中で見かけた。
支払手段
- 高雄の場合、ほとんどの人たちが Suica のような交通系のカードを使って、地下鉄やバスに乗っていた。
- それ以外の点ではそれほどキャッシュレス化が進んでいるようでもないようだった。日本よりは進んでいるにしろ、中国大陸に比べたら、全然という印象。
Google Maps すごい
- 今回、スマホ時代に入って初めて本格的に個人旅行をしたのだが、Google Maps の圧倒的な力にひれ伏すしかなかった。Google Maps で経路案内を選択すると、バス路線も完璧にナビしてくれるので、結局、最後までタクシーを使う必要がなかった。Google 実に恐るべし。
- Google Maps はおまけに最寄りの Uber の車までサジェストしてくれる。私はスマホに Uber のアプリを入れていなかったので使えなかった。今度海外に出るまでには、Uber アプリとサインアップを済ませておこうと思った。
現地SIM重要
- 渡航直前、成田空港で台湾の SIM を購入した(テレコムスクエアという店で買える)。5日間使い放題で1400円。私は非常に安いと思う。1400円のもとはゆうに取った。この SIM のおかげで、街歩きするとき、Google Map の圧倒的支援を受けられたのであるから。現地SIM + Google Map は今後の海外旅行の基本スタイルであろう。
LCC の発展
- あと10年前と変わったのは、LCC の発展だ。とにかく LCC が良く飛んでいる。今回は、GWに旅程がかかっていることもあり、そこまで安いわけではなかったが、それでもかなりリーズナブルな価格で飛ぶことができた。
- LCCは、手荷物の量に厳しい制限があることと食事は有料なのが欠点ではあるが、逆に言えば、食事が出ない分邪魔されず睡眠に専念できるという考え方もできるので、とてもよいと思う。
高速バス
- 台北と高雄の移動には高速バスを使った。台北→高雄は、阿羅哈(アロハ)客運という会社の高速バスに乗った(730元(2920円))。 とにかく豪華。
- 2列シートで基本的に飛行機のファーストクラスみたいな席。冷房が効きすぎている(これは南の国のあるある)ことを除けば、完璧に快適だった。
- 台湾は交通手段の選択肢が多い。鉄道もよい(日本より運賃が安く、バスより高速)が、快適さではおそらくバスに軍配が上がる気がする(といいつつ、鉄道にはまだ乗っていないが)。
個人的感想
台湾人について
- 台湾の人は優しい。何かを買うと、普通の店の人が「謝謝」と言葉を掛けてくれる。大陸の人たちと違って、信号は守るし、列は作るし、大声で話さないし、街でゴミも捨てない。華人は基本的に押し出しが強い人が多いのだが、その中ではむしろ控えめに見える。日本人にとっては違和感なく付き合えるのでありがたい。
- 俗説では、こういう気質は日本統治時代の影響ともいうが、真実はいかに。
中国語について
私は2004年頃、中国大陸で中国語を学んだ。ほぼすべて忘れていたが、数日、台湾にいるにつれて、少しずつ思い出してきた。台湾人とは、私の片言の中国語か、英語で話した。若い人の中にはかなり英語の上手い人もいた。
台湾人とより深くコミュニケーションを取るために、中国語(北京語)を改めて勉強したいなと思った(実際に時間が取れるかは不明であるが)。中国語の発音は、ベトナム語に比べれば易しいので、あともうちょっと努力すれば、中国語が聞き取れるようになりそうな気もする。そうすれば、コミュニケーションはずっと楽に、楽しくなりそうだ。
今後の展望
今回は久しぶりの完全個人旅行(たぶん7年ぶりくらい?)なので、海外個人旅行の勝手をはじめ完全に忘れていて戸惑った。しかし、台湾に来て数日するうちにだんだんかつてのノリを思い出してきて、調子が出てきた。調子が出始めた頃に帰国しなければならないのは残念である。
私は、今後は定期的に海外に出て、この海外をサバイブする能力を一定程度、維持し続けたいと思った。私は、本質的に旅人らしく、旅に出ているときが一番自分らしい気がする。世の中には一定数こういう人たちがいて、たぶんそういう人たちは定期的に旅に出る必要があるのだ(理想的には、旅の中に生きるべきなのだ。松尾芭蕉のように)。
イチローとケムリクサに共通するもの
ずっと書きたかったのだが、ようやく時間がとれたので、簡潔に。
イチローが引退した。3月21日のことだった。
その中で印象に残っている言葉がこれ。
少年にメッセージを送ってほしい
野球だけでなくてもいい、自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけてほしい。 夢中になれるものが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていくことができる。 それが見つけられないと、壁が出てくると諦めてしまう。 色んなことにトライして、自分に向くか向かないかよりも、自分が好きなものにトライしてほしい。
私はこの一節を聞いたとき、思わず涙ぐんでしまった。素晴らしいよね。「向く向かないか」ではなく「好き」で自分の道を決めろと。イチローは結果として大成功したけど、それは後から見たらそうだったという話で、最初から成功するかどうかなどわからなかった。プロ野球の世界は厳しい。超一流の才能を持った人でさえ、いろんな事情で活躍することなく去っていくことがある世界。イチローは恵まれた資質を持っていたのは確かだろうけど、それでも彼が絶対に成功する保証はなかった。
彼はインタービューの別の箇所で、「野球を愛する気持ちだけは変わらなかった」と言っている。できるから、成功できそうだから、やったのではなかった。好きだからこそ続いた。結果として成功した。ただ、イチローは自分が成功しなかった別の世界線のことも常に胸に抱いている気がする。それでも、きっと彼は後悔しなかっただろう。好きを貫けたのなら。
もうひとつ。
今クールで大変人気を博しているアニメがある。「ケムリクサ」だ。
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私は3年ぶりにブルーレイを買ってしまった。監督は、2年前、「けものフレンズ」でその名を轟かせた、たつき氏。彼を含むわずか数名の少数精鋭で制作された。中身は見ていただくとして(アマゾンプライムビデオで視聴可)、「『好き』を見つけること」というのをテーマにしている。
たつき監督は、とにかくアニメ制作に強い情熱を持った人で、「週5日仕事でアニメを作り、休みの2日で趣味のアニメを作る」と言われている。その彼が全身全霊を注いで制作した「けものフレンズ」は空前の大ヒットとなった。ところが、その直後、不可解な事情にて、「けものフレンズ」の制作から離れざるを得なくなった。身を切られる辛さであっただろう。だが、彼はアニメ制作をあきらめなかった。今度は、この「ケムリクサ」の制作に取り組むことになった。
結果は、再度の大ヒット。完全に名声を確立した。この作品のテーマが「『好き』を見つけること」なのは、彼がアニメを好きだという気持ちを、作品を通して再確認したかった、というのもあるのではないかと想像している。
私は、いま仕事の方向性を大きく変えつつある。ウェブエンジニアから機械学習エンジニアへ。いま機械学習に対して強い情熱を感じている。これは私の「好き」なのかもしれない。成功するかどうかはわからない。でも、イチローが言うとおり、「自分が好きなものにトライ」すべきなんだろうと思う。イチローがそうしたように。たつき監督がそうしたように。ちょうど私がそういう思いでいるときに、この二人のメッセージは心に深く刺さった。
個人的な気持ちを抜きにしても、いまは「好き」を追いかけるべき時代なのかもしれない、とも思う。定型的な仕事は、どんどん機械に置き換えられていくような時代だ。機械に置き換えられない、個性的な仕事ができなければ、職を失うかもしれない。そのためには、「好き」を追いかけるしかないのではないか。好きだとしても、必ずしも成功するとは限らない。結局、方向転換しなければならないこともあるだろう。だが、そうやって挑戦したことは決して無駄にはならないと思う。そして、仮に最後まで成功できなかったとしても、それでも良いと思う。なぜなら、結局、好きなことをやれたのだから。好きなことをやっているうちは楽しいのだから。それは、金銭や名声には換えられない、一番大切なことじゃないだろうか。
書評「Scratchで楽しく学ぶ アート&サイエンス」
Scratch は、画面上でグラフィカルな部品を組み合わせるだけで、プログラムが作れるという開発環境である。 そのため、子どもたちにプログラミングを教えるときに使用することが多い。
プログラミングを学習する意義、Scratchの基本的な使い方超入門 (1/3)
友人の石原淳也氏は、長年 Scratch を使って、子どもたちにプログラミングの楽しさを伝えようと尽力されてきた。 CoderDojo 調布での活動がその一例である。
石原さんは、最近、
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という本を出版された。献本深謝。
石原さんを通じて Scratch を知って、おそらく10年以上経つのだが、私の思考回路がテキスト処理を指向していたため、あまり馴染めていなかった。
「アート&サイエンス」という言葉がタイトルに含まれていることからわかるように、この本の内容は結構硬派である。「加速度運動」「論理回路」「確率」「三角関数」「円周率」「フラクタル」等々、大人向けのテーマになっている。Scratch は、画像表現に優れているので、こうしたテーマを巧みに画像(動画)にしていく。Scratch の例題と同等の動きをするプログラムが他の言語(Ruby, Processing, JavaScript, Python 等)でも掲載されている。
個人的には、「第5章フラクタル図形を描いてみよう」が好きだった。フラクタル図形は、「部分に全体が含まれる」ような図形で、自然界の至るところで見られる。例えば、木の枝分かれなども、フラクタル図形と言えるだろう。この本では、「シェルピンスキーの三角形」「コッホ曲線」「ツリー」等が取り上げられている。
私もフラクタルなネタを探した。数学好きの友人に尋ねたところ、「フィボナッチ文字列フラクタル(Fibonacci word fractal)」を勧めてくれた。フィボナッチ文字列フラクタル。名前からしてカッコイイ。これにしよう。
フィボナッチ文字列フラクタルとは、フィボナッチ文字列(フィボナッチ数列の文字列版)に基づいて、一定の規則でペンを動かしていって、描かれる図形のことである。詳しいことは、この素晴らしいサイトを参照のこと。
やってみた。
プログラムは以下のとおり。
Scratch でも、他のコード断片(ブロック)をサブルーチンとして呼び出すことはできるのだが、戻り値は持てない。そのため、再帰を使ったコードは書きづらかったのは残念。とはいえ、Scratch でもこんな複雑な処理がこなせるのだなと、このプログラムが完成したときは嬉しかった。
この本は、
- Scratch でプログラムを書いてきた子供たちが、科学に親しんだり、他のプログラミング言語をはじめる
- Scratch 以外の言語でプログラムを書いてきた大人が、Scratch に親しむ
のどちらにも役に立つと感じた。
自分が能動的に社会に働きかけていくということ
ブログをそれなりの頻度で更新しようと思いつつ、なかなかそれができていない。今日は最近考えていることを書いてみよう。
私は今年の6月で48歳になった。48歳!数字だけを見るとだいぶ歳を取った気もする。たしかに若い頃に比べればいろいろ身体の変化も感じることがあるし、それだけの年輪を重ねてきたという実感はある。その一方で、精神にはまだ若々しい、あるいは未熟な部分も残されていて、48歳だからといって枯れ切っているわけでもないのだな、という風にも感じている。
私は物心ついたころには、すでにひねくれた子供だった。今思えばその原因らしきものは思い当たるがそれについては詳述しない。いずれにしろ、私は自分の周囲の環境と直接的なコミュニケーションを取るのが難しかった。あるものが欲しければとりあえず「それが欲しい」と言ってみればよいのに、そういうことができなかった。周囲から私への働きかけに対しても、適切に応答できなかった。うまくコミュニケーションが取れれば、周囲の私に対する対応を変えていくこともできたかもしれないのに、私はそれらの物事を変化しようのない所与のものとして受け止め、内面的に悩み続けた。いろいろ不幸な事情が重なっていたのだろう。
私は、かねてからブログで日本社会を批判してきた。だが、その批判のかなりの部分は、その子供の頃のひねくれたコミュニケーションの延長線上にあるのかもしれない。私は、自分で自分の生きる環境を選びとることができる大人になっているのにも関わらず、心のどこかの部分は、親もとで暮らし自分で環境を選択できないまま、もがき続けた子供時代にまだ生きているような錯覚を持ち続けているのかもしれない。
私は技術屋なので、技術的な事柄については、全てが可変であることを知っている。いまは技術的にある目標が達成できなかったとしても、それはたまたまいまの技術水準がそうであることを示すにすぎず、未来の技術革新によって可能になるかもしれない。ところが、不思議なことに、技術に疎い一部の人たちは、常に現在の技術が所与(不変)のものとして、社会を論じようとする。おそらく、彼らが技術の動作原理を理解したことがなく、またその動作原理に基づいて、技術的な改良ということを行った個人的な経験がないことに基づいているのかもしれない。
ただ、私はその一方で、社会的な事柄については、その技術に疎い人たちが技術的進歩に対して取るのと同じ態度を取っているのかもしれない。日本社会の諸様相、あるいは、自分の周囲の社会的環境といったものも、実は、決して不変なもの、あるいはただ受動的に甘受しなければならないものではなく、絶えず変化していくし、また、小さいながらも自分の意志によってある程度までは変化の方向性に影響を与えることもできるはずなのだ。私はどうもそういう方面の発想ができない個人的偏見を抱えているらしい。それはおそらく子供のころ、自分の周囲の人たちとうまく意思疎通できず、有効に周囲に働きかけることができなかったという個人的な経験(成功体験の欠如)に基づいているように感じている。
確かに、日本社会の抱えている問題は大きい。
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
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この「失敗の本質」で描かれているような問題は、いまだに日本社会の根深く残っており、それゆえ、いま日本社会全体としては、太平洋戦争に続く第二の敗戦に向かってひた走っている。個人では直接には抗いようのない大きな力がここに働いている。
Imagining Japan: The Japanese Tradition and its Modern Interpretation
- 作者: Robert N. Bellah
- 出版社/メーカー: University of California Press
- 発売日: 2003/02/26
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あるいは、米国の宗教学者であるロバート・ベラーの書いたこの本を読んでも、日本的なものがいかに根深く容易に変わりうるものではないことを再確認させられる。
- 作者: R.N.ベラー,池田昭
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/08/20
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読んだことはないけれども、日本語で読めるものでは、この本も良さそうだ。
ただ、同時に文化や民族性といったものも、完全に不変ではなく、長い時間をかけながら少しずつ変化していくのも事実だ。まして、いまは、インターネット上で世界の隅々まで一瞬で情報が駆け巡り、航空機が世界中を行き交い、あらゆる地域の人々がお互いに影響を与え合う時代だ。少子高齢化が進む日本では、今後、若い外国人の人たちに大勢日本に来てもらい、次世代の日本社会の一翼を担ってもらう必要も出てくるだろう。ある種の「原型」としての民族性のしつこさを決して軽視はできないが、変化していく部分が全くないと悲観するのも早計である。
私は、48歳になった。ほぼ半世紀生きたことになる。そろそろ私は長い「幼年期」を脱して、大人としての責任を担い始めるべき時なのかもしれない。大人になるというのは、自分の背負っているものについてすべて自分で引き受ける覚悟をするということだ。誰か他の人のせいにしないということだ。自分のできることはもちろん小さなことに過ぎないが、同時に本気で取り組めば、ほんのわずかだけこの現実の社会を変えることになる。社会というのは個人の集積で成り立っており、私たち一人一人が即社会の一部であることは自明である。そういう一人一人が自分自身のその周辺を変化させれば、それは小さいながらも社会が変化したということである(もちろん、社会には大きな慣性が存在するので、せっかく個人が起こした小さなよい変化も、再び押し流されて元に戻ってしまうということもよくある。だが、同時に新たな傾向性として定着していくこともある)。
当たり前のことだが、人は自分のできることしかできない。だが、逆に言えば、どんなに小さくとも、自分にできることさえすれば、それは人として生まれてきた使命を十分果たしたと言えるのではないか。まずは、身近なことから始めていこうと思う。自分の仕事や私的な人間関係において、他者に奉仕する心を持つこと。独善に陥ることなく、緊密な意思疎通を図りながら、意見を集約して、よい変化を起こしていくこと。学習や運動を通じて、可能なかぎり自分の頭脳と身体をよい状態に保つこと。私のしたことなど、やがて忘れ去られていくだろう。意味などないのかもしれない。だが、あるいは別の形に姿を変えて、密かに後世に伝えられていくのかもしれない。それは自分には制御できないことであり、深く考える必要はないだろう。
自分のできることを少しずつやっていこう。無理せず焦らずに。そんなことをいま私は考えている。