「鉄血のオルフェンズ」が熱い
ガンダム・シリーズの最新作である「鉄血のオルフェンズ」が熱い。
いろんなところで言われているように、「泥臭い」感じがとてもよい。
例によって、これは「ガンダムか、ガンダムじゃないか?」みたいな議論が起こっているが、本当にどうでもいい。 戦闘シーンは良く出来ていると思うが、それは私が惹かれる一番の理由ではない。ロボットの造形に関しては、私はほとんど無関心である。
私は、脚本がとても良いと思う。
特に、主人公・三日月と、ヒロイン・クーデリアの対比が非常に効果的だと思う。
三日月は、民間の軍事警備会社で働く少年。孤児であり、教育は全くない。文字さえ読めない。
一方で、クーデリアは、火星自治区のリーダーの娘であり、金持ちで生まれつきのエリートである。火星の大学を優秀な成績をあげつつ、飛び級で卒業している。
まさに、およそこれ以上はないほど対極の境遇の二人である。
「彼ら」と「私たち」
言葉遣いの違いに二人の考え方がよく現れている。
クーデリアは、「彼ら貧しい子どもたちを救わなければならない」と「彼ら」という。
それに対して、三日月は、「自分の命も、みんなの命も大切だ」「俺の仲間を馬鹿にしないで」と「私たち」という。
クーデリアにとって、守るべき相手は「彼ら」であり、自分はそこに属してはいないのだ。ここに、彼女の理念的で理想主義的な性格がよく表現されている。一方で、三日月にとって、守るべき相手は常に「自分と仲間」つまり「私たち」なのだ。三日月には、学問はないので、鳥瞰的に物事を見て、理想を語ることはしない。ただ、目の前の苦難を乗り切って、自分と仲間を守っていくことにしか関心がないのだ。
この二人が会話をすると、どこまでも大地にしっかり足のついた三日月に対して、火星屈指のインテリであり才色兼備のクーデリアはまるで歯が立たない。自分がただの理想主義者で現実を変えることに何の力もないことを思い知らされるからだ。ただ、クーデリアは賢いので、これから三日月から、火星の過酷な現実を学び、大きく成長していくのであろう。そして、異性としても惹かれていくではないだろうか。今後の展開が楽しみだ。
私が「鉄血のオルフェンズ」で好きなセリフは、ビスケットの「勝つかどうかはわからない。われわれは、負けないように抗うことしかできない」というもの。これも、貧しい境遇に育った子どもたちの生き方を一言で表現している名言だ。
こういうふうに、「豊かな者」と「貧しい者」を対比させて、登場人物に奥行きを与えているこの脚本はとても優秀だ。
まだ2話しか放映されていないが、名作の予感がする。