elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

求む営業マン

私は、最近、バーチャル Youtuber (Vtuber) たちの動画を見るのが好きである。ただの Youtuber とは違って、3D モデルが必要なので、それなりの技術や資本がいるだろう。だから有名な Vtuber は企業の支援を受けていることが多いらしい。とはいえ、あくまでも個性を売り出していくのは、本人たちの工夫と努力の賜である。最初のころは、泥臭く垢抜けなかったのに、投稿回数を重ねるたびにどんどん洗練されていく姿を見るのはまぶしい。私は有名どころの Vtuber はちらほら見ているけれども、最近、一番のお気に入りは富士葵である。富士葵は17歳の女子高生という触れ込みであるが、真偽は不明だ。しかし、彼女の不思議なトークは、なぜか見る者を保護者のような気分にさせる。実際、私は、自分が叔父になったような気分で彼女の活躍を見ている。

去年後半から急激に盛り上がってきた Vtuber たちだが、彼らを見ていると、10年前のブログ黎明期を思い出す。あのころは、実に面白いブロガーたちがたくさんいた。それぞれの個性をもったブロガーたちが、日々ブログを更新していく。それにファンがついて、まさにいまの Vtuber 界隈のようだった。私もブログを書いていたが、ブログ仲間の一人が「ブログ芸人」という言葉を使っていたのには、膝を打った。確かに、ブロガーは文章の内容そのものもさることながら、いくつもの文章の全体から醸しだされるその人の人柄に、ファンがついているのであり、それはライターというより芸人に近い。

私も、一時期は、多少人に読まれるブログを書いていて、だから、芸人や Vtuber たちの気持ちが少しだけ、わかる気もする。芸人には、ファンがいて、ちやほやしてもらえる一方で、アンチも現れて批判も浴びる。芸人は、ファンの間では、一種の教祖様のようなものだから、先日、騒ぎを起こしたアイドルグループの一員のように、何か問題を起こせば、一般人以上の非難を受けることになる。芸人とは、ある意味、ファンたちのリーダーでもあり、人々の模範となる責任を負っているからである。それは生身の人間にはつらいことだが、芸人というキャラを演じることでなんとかその責任を果たし、報酬を得て、生きていけるのである。それはなかなかつらいことだが、それが彼らが選んだ道なのである。

私は、自分のことはなんでも正直に話すスタイルの「ブログ芸人」だった。キャラを演じないので、ある意味、演じられる人たちより、つらかった部分もある。その反面、救われたところもあった。ブログを介して、さまざまな面白い人たちに出会うことができたし、文字通り、仕事を得ることもあった。

いまさら何かのキャラを演じるのもアレだし、こういう正直になんでも話すスタイルのブログというのも気に入っている。実名でやっているので、なかなかつらい部分もあるが、匿名だと安心して何でも書きまくり、あとで身バレして大騒ぎになるよりはマシだと思っている。だから、これからも実名でブログを書いていくつもりだ。実名であるがゆえに、書けないこともあるが、書けることはできるだけ書いていきたい。

このGW中、私はずっと今後の仕事の方向について考えていた。いま私は都内のある会社に10時から19時まで常駐して、ソフトウェアエンジニアとして働いている。その会社は、人工知能を使ったソリューションやプロダクトで有名なところで、私も、Ruby on RailsPython を使って、機械学習要素のある製品の開発を行っている。たまたま、周囲にいる人たちはみな優秀で気持ちのよい人たちだし、自分も楽しく仕事をさせてもらっている。

この現場に入って、半年くらい経過するのだが、だいぶ仕事に慣れてきて、能率的に仕事がこなせるようになってきた。それはよいことなのだが、その結果、平日の夜や週末がだんだんヒマに感じるようになった。今の気持ちとしては、遊ぶより、もっと仕事がしたい。いまは働き方改革の一環として、副業が普及しつつある世の中である。私はフリーランスだから副業もへったくれもないのだが、もうひとつ仕事をしようと思っている。

いくつか候補はある。プログラミングを教えるのもいいかなと思うし、プログラミングに関する記事を書くのもいいかもしれない。あるいは、別のソフトウェア開発の仕事をやってみるのもよいかもしれない。私の専門分野はウェブ開発なのだが、最近は、データ分析・データ基盤整備にも興味がある。Python を使ってスクレイピングなんていう仕事があったらぜひやってみたい。

私には、いくつか弱点がある。それは、自分に「これがやりたい」という確固たるものが「まだ」ないのである。何か作りたいウェブサービスもない。自分には、営業マンのセンスがない。昔は、自分が営業をやろうとしたが、そのたびに経済的にはいつもエライ目にあった。営業マンのスキルには憧れがあるものの、私には才能がないのだろう。だから、営業をやることは諦めようと思う。そのかわり、誰かに私に代わって営業をやってほしいなあ、などと夢想する日々である。