elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

Claude Codeを使って感じたこと

最近、私は Claude Code を使ったアプリ作りにはまっている。自分のニーズを満たしてくれるちょっとしたアプリを作るのだ。基本的にはウェブアプリが多い。Kotlin + Webview で Android アプリも作った。しかし基本的には HTML + CSS + JS でウェブアプリである。

以前は、Geminiに頼んでちょっとしたウェブアプリを index.html 一枚で書いてもらえればそれでいいと思っていた。しかし、Claude Code の Pro 契約(22 USD/month)を結んで、AIエージェントを使い始めると、全く違う世界が広がった。私はまだClaude Codeを使い始めて2週間くらいにしかならないのだが、すでに作ったアプリの数は数知れない。とにかくある種の工程が爆速になるのは間違いない。

私は複雑な実務で Claude Code を使ったことがないから、実務でありがちな「巨大なプロジェクトのごく一部を取り出して機能の改修を行う」みたいな状況にどれくらい使い物になるのかはよく分からない。ただ、今の私のように「自分の生活上の小さなニーズをさっと満たす」みたいなときに、AIは最強であるように思える。ゼロからある程度動くところまで作るスピードが半端ないのだ。もちろん、セキュリティ等は気を付けなければならない点もあるが、個人用途なら「雑にだいたい動く」程度でも十分なことが多く、AIはほぼ完璧にそういう用途を満たしてくれる。

従来のチャット型のAIと同じく、AIエージェントも実際に使ってみないと、AIエージェントの細かい癖は理解できない。得意な分野ではとても得意だが、苦手なこともある。例えば私は見栄えのデザインのセンスがあまりないのだが、そういう解像度の低い分野で、「良い感じに作って」みたいな曖昧な指示を出すと、あんまりいいものは出てこない。確かにAIが作るデザインは平均点はクリアしているのだが、指示が適当だとやはりグッとくるものにはならない。

Claude Codeとのやり取りはまさに自分が上司で、Claude Code が部下という感じがする。あるいは自分が顧客で、Claude Codeが実装担当者か。私はいままでずっと実装担当者としてプログラムを書いてきた。そういう立場で、マネージャーや顧客の要求があいまいで、しばしば後からやり直しを命じられることに腹を立ててきた。なぜもっと考えて最初からきちんとした指示を出さないのか。しかし、私が逆に Claude Code 相手に顧客の立場に立つようになって、顧客の気持ちがよくわかった。要求は最初からは整理しきれないのだ。確かに本気で使い始めるまで、何が一番いいのかはわからなかったりする。

ただ、良いこともある。私は、自分の生活の小さなニーズを満たすこれらのツールを愛している。実際、本当に便利だし、私の生活を改善してくれる。確かに顧客にとってコンピューターシステムはありがたいものなのだ。私はいままで実装担当者として、顧客の立場からかけ離れた場所にいた。立場が違うので、顧客の喜びも苦しみもわからない。だから、内心「こんなシステム何の役に立つのだろう」と思っていた。いや、違うのだ。顧客は本当に喜んでいたのだ。実装担当者から見れば、つまらないように見えるシステムで、顧客の仕事を遂行する上で計り知れない貢献をしていることがありうる。それを実際、自分のニーズを満たすアプリを Claude Code に作ってもらって初めて理解できた。だから、これから先、仕事で他の人のためにソフトウェアを作ることがあっとしても、この人たちにもっと優しくなれるような気がした。

Podcastを始めました

私にとっては語学学習は趣味のようなものなのですが、私がどのように語学を学んでいるかについて語る Podcast を始めました。まだ要領を得ないので、うまく話せていないかもしれませんが、もしよければ聴いていただけますと幸いです。また何か「こういうテーマで話してほしい」というご要望があれば、コメント欄までお寄せください。

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なぜ未来予想をしたくなるのか

いまXに書くのをお休みしている。2週間ほど前、日本が置かれた状況を真面目に考えるとつらくなりすぎて、書けなくなったのだ。Xを読むこともなくなった。

それでどうなったかと言えば、時間がたっぷりできた。心が安らかになった。

私はいまタイに住んでいる。だから日本のあれやこれやに影響を受けるにしても、日本に住む日本人ほどではない。正直、日本のことを忘れて何も考えなかったからといってすぐにどうなるわけではない。実際、そうやって外国に住む日本人で日本について考えることをやめてしまっている人たちもそれなりにいるに違いない。

趣味なり人間関係なり自分の個人的な課題を見つけてそれに熱中するのが一番無難な生き方なのだろうとは思う(ただそれが私には難しい)。社会について論じることは必ず軋轢を生む。特に政治は、その本質が闘争である以上、言及すれば必ず返り血を浴びる。

私は日本が今後も衰退していくと考えている。そう考える根拠もいくつも持っている。ただ、もちろん逆の信念を持っている人もいる。日本はこれから目覚ましく成長していくと信じる人々。彼らからしてみれば、私のような人間は不愉快極まりないだろう。私はX上でそういう人たちから罵声を浴び続けた。

もちろん、未来というものは本質的に不確実だ。私の予想とは別に、未来自体は本当のところはどうなるかは誰にもわからない。私の予想通り衰退するかもしれないし、私の反対者の言う通り成長していくのかもしれない。もっとも中立的で誠実な答えは「実際起こってみなければ分からない」だ。

そこまで言ったうえで、なおも私はどうして「日本は衰退する」という予想を公言したくなるのだろうか。日本人である私にとって日本が衰退するのは不都合なことだ。その予想を一人で抱えているのが自分にはつらすぎるのかもしれない。同じような考えをもつ人とつながりたいのかもしれない。あるいは誰かに出口を教えてもらえるかもしれないという密かな期待を持っているのかもしれない。

それでも現実の私はいまは日本を物理的に離れ、依存度は相当下がっている。時間がさらに経過するにつれて、日本との関わりも薄れていくのかもしれない。そのときには、もはや日本も半ば自分にとっての「外国」として少し距離を取って眺めるべきなのかもしれない。仮に日本列島に住む人たちが愚かしい選択をした結果、衰退していくとしても、それは彼らの選択の結果であり、尊重すべきという考えに変わっていくのかもしれない(私がいま諸外国に対してそう思うように)。

当座の話でいえば、いま日本には石油危機が襲いかかっているが、あと2か月くらいすれば誰の目にもその影響がはっきりしてくるだろう。それを見届け、日本の世論の風向きが少し変わる頃合いを見て、またXで少し書くようにしても良いのかもしれない。

希望を持ち続けることについて

米国で、民主党所属で民主社会主義者のマムダニ氏がニューヨーク市長選に当選した。米国はどこでもそうだが、特にニューヨーク市はこの数年物価高騰(特に家賃)に見舞われていて、ごく普通の人が普通に働いているだけでは家賃が払えない状態になっていた。そこでマムダニ氏は家賃の凍結・公共バスの無料化・安く食料が買える公営スーパー等、生活に苦しむ人たちを直接支援することを公約に掲げた。財源は、企業や富裕層への増税。若年層を中心に圧倒的な支持を獲得して当選した。

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マムダニ氏自身は、アフリカ生まれでインド系ムスリムの移民というまさにマイノリティ中のマイノリティ。だから、もちろん、多様性や移民といった民主党的アジェンダも掲げてはいる。しかし、優先順位としては、経済問題の解決が先という姿勢をはっきりさせた。

去年の大統領選でトランプ氏を支持した無党派層の人たちの多くは、物価高騰等で苦しくなった生活を改善してほしいと藁をすがる思いだったはずだ。しかし、実際の政策は庶民の生活をさらに苦しくするようなものばかりだった。高率の輸入関税。大企業・富裕層向けの減税の一方で、低所得者向け援助の削減。

ここ最近の米国は、大企業や富裕層が政治資金を提供することで、政治家が大きな影響を受けて、こうした金持ち向けの政策しか実行されない国になっていた。政治家は大企業や富裕層からの政治資金を絶って、むしろ彼らに増税することで財源を作り、中間層や低所得層を支援すべきだったが、そういう政策は行われてこなかった。

だから、私はマムダニ氏が当選したことに、久しぶりの希望の光を見たのである。マムダニ氏の掲げる政策は、まさに富裕層に課税し、庶民を助けるものであったからである。ようやく、いまの米国をめぐってあるべき姿の政策を実行すると公約する政治家が現れたと私は思った。

もちろん、マムダニ氏はこれから既得権益者との戦い、共和党の大統領であるトランプ氏からの圧力、増税を通じた財源の確保など、困難な闘いが多くあるだろう。実際には、公約はあまり実現できないかもしれない。しかし、政策の方向性としては正しいと私は考えている。

私は、トランプ政権下の米国に絶望しきっていたので、マムダニ氏の登場は、暗闇にともる一本のろうそくのように私の心を暖かく照らし出した。マムダニ氏は1年前は無名の泡沫候補だったという。彼は、たった一人で街に立ち、市民との対話を試みた。最初は、無視されて誰も立ち止まってくれなかった。それが徐々に支持の輪が広がり、多くのボランティアが彼の選挙活動を手伝い、最後は雪崩を打つような大きな動きになった。

もし彼がニューヨーク市長になろうと決意していなかったら?トランプ主義の台頭を前にして「仕方ない」とあきらめていたら?彼は今いる場所に立ってはいなかっただろう。そして、米国を遠く離れて暮らす私の心を明るくすることもなかっただろう。

私は、深く自分自身を反省した。私は、あまりに皮肉主義に耽溺しすぎてきたのかもしれない。トランプ主義に心を砕かれすぎていたのかもしれない。私は受け身すぎて物事をあきらめるのが早すぎたのかもしれない。

私はいままで日本社会の現状に絶望してきた。だが、斜に構えていても得られるものは何もない。私はこんな状況であっても、日本の未来に希望を見出すことにする。

その希望はすぐには実現しないだろう。しかし、物事には必ず浮き沈みがあるものだ。数年、あるいは数十年、停滞した後に、再び浮上する。そういうイメージを持ちながら、日本を見ていきたい。批判するときにも、どこか建設的な要素を残していきたい。

私が思うに、いま日本をダメにしつつあるほとんどの要素は、自分たちの生活や収益が悪化する恐怖から、現状にしがみつこうとすることから生まれていると考えている。そう考えると、彼らが必要としているのは「変化しても大丈夫だよ」という暖かい支援の言葉なのかもしれない。

私もまた、変化を楽しみ、人々の心を明るくする存在でありたいと思った。

何のために未来予測をするか

いろいろと身辺でいろんなイベントがあってずっと落ち着かない状態が続き、ブログエントリーが書けなくなっていた。

私はX上に19000人を越えるフォロワーがいて、X上で何かを書くといろんな反響をいただく。それがたとえ自分にとっては愉快なものでなかったり、同意できない内容であったとしても、私はそこからいろんなことを学ぶことができる。そのことはとてもありがたいと思っている。

私の書く内容がときに激烈に否定的な反応を引き起こすのは、誰かが信じたいことを正面から否定しているからだと思う。私は、未来について考えることが好きで、しかもそれをいろんな分野を結び付けて体系的に思考するので、特定の事柄で確信を抱いたときには、強く非妥協的に主張する。それが他の誰かにとって大切な何かと抵触するときに、彼らは自分の信念を守るために激しく私の主張を攻撃する(時には私の人格に対する攻撃になることもある)。

だから、今日は私がなぜそんなに未来について断定的に主張したいのかということについて考えてみたい。自分にとって痛いことも含めて、なるべくカッコつけずにあるがままに語ってみたい。

私が、未来を予測せずにはいられないのは、それこそが私の適応形式だからである。たいていの人たちは、自分の所属する組織の中で、周囲の顔色を窺い、良い関係を維持しつつ、組織の目標を達成することを心掛けて生きている。ところが、私は生まれつき考え方が一匹狼であって、周囲の人間を気持ちを思いはかることによって生き残るという考え方が希薄である。その代わり、社会全体の行き先をあらかじめ予測し、自分の行動を調整することで生き残ることを試みる。だから、私が未来を予測するとき、普通の人たちが世間体を気にして周囲との調和をめざしているのと同じくらいの情熱を注がざるを得ないのである。

そのうえで、私は「自分が未来を正しく予測できる人間である」と自分や他の人たちに思ってもらいたいという欲望があるようだ。これは、単なるエゴであろうと思う。

確かに私は常に未来について考え続けているし、そういうことにまるで関心のない人たちより、未来を予測することに長けているとは思う。しかし、未来予測において「一番」である必要はないはずだ。そんなものを競う必要はない。原理的に未来を完全に予測することは不可能だし、おそらくその必要もない。

未来予測はそれ自体を目的にするのは不毛だ。それは何らかの別の価値のために行われるべきだ。そしてそれをブログ等で世の中に向けて発表するときには、それ自体に何らかの意味があるべきだ。未来を予測するのは、たとえば職業を選択したり、投資判断を行うときにはとても重要だ。

「未来を正しく予測できる自分はエライ」とかいうエゴではなく、今後は「何のために未来予測をするか」ということを意識しながら、未来予測を発表していくことにしたい。

私は日本の未来に対して厳しい見方をしている。私にはそのように思えるのだがそれが正しいかどうかは本当のところわからない。「何が良い状態か」という定義にもよる部分があるとは思う。私は政治家ではないから、日本の未来について、直接影響を及ぼすことはできない。大衆運動を組織して日本社会を変えようとも思わない(それは不可能ではないかもしれないが、とても骨が折れる)。

私の比較的似た価値観を持つ人たちに向けて、これからやってくる(と私が信じる)厳しい時代を生き残る方法を共に考えていければよいなと思っている。社会を変えることはできなくても、私たち一人一人が行動を変え、自分たちの人生の軌道を変えることならできるからだ。

AIがすべての仕事を奪う日

しばらくブログを書く間隔が空いてしまった。実は、いままでのブログエントリーのうち、AIについて書いたものをまとめてKindle Direct Publishingで出版する作業をしていた。

私は、AIがいずれ人間の仕事をすべて奪うのは避けられないと考えていて、そのときにどういうことが起きるのか、人間社会はどのように対応すべきかについて考えた。

以下、「はじめに」からの引用。


第1章では、私がAIと対話した個人的体験を通じて、AIをともに生きるパートナーとして考えた場合の利点や問題点について論じる。

第2章では、AIが仕事に与える影響について論じる。「AIが登場して、人間の仕事の一部を代替しても、新しい仕事が生まれるから問題ない」という主張をする人たちがいるが、私はそういう考えを否定し「いずれAIが人間のすべての仕事を代替する」という立場を取る。

第3章では、「AIが人間からすべての仕事を奪った後の世界」について考える。エネルギーが豊富に存在するという前提で、AIが人間に必要なものは何でも生産できるようになったとき、問題はその生産物をどのように分配するかだ。人々は労働しなくなるので、当然、労働所得はなくなり、「もらった給料でモノやサービスを買う」ということができなくなるからだ。ベーシックインカムが分配のための有力手段になるが、その実現可能性や代替手段について論じる。

最終章である第4章は、AIが社会全体をどのように変容させていくかについて論じた。やがてAIは人間の知性を圧倒していくので、AIが社会のほぼすべての資源を管理する「AI管理社会」が到来するのは、不可避であろうと考えている。


ブログは無料で公開しているのでわざわざ書籍として購入するまでもないかもしれないが、電子書籍の形の方が読みやすいとは思う。Kindle Unlimited に加入している方なら無料で読める。

もしご興味あれば読んでいただけますと幸いです。

歴史的転換点:先進国からグローバルサウスへ

内燃機関車からBEVへの移行について、いくつか予想外のことが起きている。カッコ内は新車販売に占めるEVの比率である。

  • 先進国でのBEV移行が思ったより遅い(2020年5.3%→2024年12.0%)
  • 中国がBEVで圧倒的な地位を築いた(2024年45%)
  • 新興国のほうがむしろ先進国よりBEV移行が急ピッチ(2020年2.9%→2024年23.5%)

(集計はGrokに助けてもらった。地域別EV販売台数と総販売台数を基に比率を計算。ソースはIEAレポート)

これはひょっとして先進国中心の世界秩序が廃れて、中国・インドなどの新興国中心の世界秩序への移行の序章なのではないだろうか。

再エネへの移行も新興国のほうが先進国より先に達成する可能性もある。

いま新興国はすごい勢いで再エネを増やしている。その中でも一番大きな割合を占める太陽光発電で言うと、

一方先進国の太陽光発電導入量では、2024年に欧州71GW、米国は47GW、日本は6GW程度の新規導入 である。欧州は先進国の意地を見せてはいるが、伸び率を考えると、向こう数年以内にはインドに追い抜かれるかもしれない。

再エネに関して、特に米国と日本で逆風が吹き荒れている。

米国のトランプ政権は化石燃料の復権を願っており、再エネに対して敵対的である(完成直前の風力発電の工事を遅延させたり、大型の太陽光発電計画を中止に追い込んだりしている)。

日本は2015年をピークに近年、太陽光の新規導入が伸び悩んでいる。メガソーラー反対運動の高まり(釧路湿原メガソーラー反対運動)や大規模な洋上風力発電計画の挫折(三菱商事連合撤退)など、再エネ導入が順調に進んでいない。

私は先進国が既存の産業や消費者のしがらみから新しい技術体系への移行が遅れ、新興国に技術的優位性を奪われる可能性を感じている。

ここにトランプ政権による米国の自爆という事件が加わった。先進国の盟主たる米国が衰退色を強めるにつれ、世界の他の地域は自信を深め、非米的な独自世界秩序を探求する流れが始まっているように感じる。先進国はこの動きについていけていないようだ。

20世紀の前半、産業的な覇権が英国から米国へ移動したときに似た何かが起きているのかもしれない。英国は産業国としては古くなり始めていた一方、当時、まだ新興国だった米国は最新式の生産設備をしがらみなく導入できたという事情があった。

私は去年までは、中国やインドの台頭はあっても、しばらく米国は活力を維持するだろうと想定していた。しかしトランプ政権が反移民的な政策を強行し、米国が事実上移民国家であることをやめつつあることをもって、米国の中長期的な見通しを格下げした。米国が移民を獲得できなければ、単なる人口が多いだけの国になってしまうからだ。このままでは米国は中国に経済力で負ける可能性が高い。

日本の衰退も、この「先進国衰退・新興国台頭」という大きな流れの中に位置づけることができそうだ。

グローバル化の結果、先進国の産業は空洞化した。いまその反動で、保護主義によって産業を取り戻そうとしているが、これは逆効果であり、衰退を早めるだけだろう。しかし、不満を募らせた有権者によってその「一見もっともだが実は有害な」政策をやめることは政治的に困難になりつつある。こうして先進国は自爆コースにはまり込んでしまっているようだ。

有権者のグローバル化への怨嗟によって近年の先進国における右派政治勢力の台頭はほぼ説明できる。しかし、これらの政治勢力の経済政策メニューは麻薬的であり「短期的には人々を癒すが、長期的にはダメにする」ものが多く、先進国の衰退を決定的なものにすると思われる。

どうやら私たちは、経済の重心が先進国から、中国・インド等のグローバルサウスに移動する歴史的瞬間を目撃しているのかもしれない。いままでの常識を捨て、新しく生まれつつある世界を曇りない目で見ていく必要がある。