パブリック・マンのその後
2012年2月に私はこういうエントリーを書いた。
あれから11ヶ月が経った。いまの状況について報告しよう。
私はあのとき自分の生き様をインターネットで報告しながら生きて行くと宣言したのだった。同時に自分の財務状況も報告を始めたので、私のパブリックマン宣言を「個人的財務の全面公開」と解釈した人達も多かったがそれは私の企図するところではない。
その後、私は Skype 相談、オンライン学習コミュニティ・エルムラボと新しい企画を打ち出してきた。Skype 相談は延べ150人ほど、エルムラボの会員数は、現在40名弱である。
私は去年の5月末に、日本を出た。訪れた国は、ベトナム・フィリピン・スイス・トルコ・ドイツ・イタリア・フランスなど。私は、オンラインで稼ぎつつ、世界中の好きな場所に住む、というライフスタイルを試みた。
ネット上だけで稼いで暮らすという生き方がもう少しで手に入るかのように見えた。ところが、私の心はなぜか浮かなかった。
私は「ノマドで行こう」という標語を掲げている。これは私の生き方のスタイルを掲げたものにすぎない。いま巷を騒がせているノマド論争などどうでもいい。ただ、私がこの国際放浪者のような生活を経て得た結論は、結局人間はどこかで誰かに深くコミットしないかぎり幸せになれないのではないか、ということだ。
特に2012年9月から12月まで滞在したベトナムの生活に、かつてような楽しさがぜんぜんないのに驚いた。かつてはベトナムで本気でビジネスをやるつもりだった。だから必死にベトナムの社会について学ぼうとしていた。ところがネットビジネスで日本人相手に稼ぐだけの商売では、私が物理的に住むベトナムへの関心は乏しくなる。私はベトナム人の友人たちに「なぜあなたはベトナムに住んでいるのか」と聞かれたときに返答できなかった。とても恥ずかしく感じてしまった。
インターネットで稼ぐのは至難の技だ。普通にメシが食えるレベルになかなか達しない。これで果たしてまっとうな仕事と言えるのか?私はそんな疑念にも襲われた。そんな自分が偉そうに Skype 相談やエルムラボを主宰してよいのか。だが、そういうネガティブなことをインターネット上で述べることはためらわれた。言えないことが増えるにつれ、私はブログから遠ざかるようになった。
いま思えば、こういうことだ・・・。私は功を焦りすぎていたのだろう。ネットビジネスを軌道に乗せるにはそれなりの時間が掛かる。私の頭にあったのは、以前ソフトウェア開発の仕事をしていたころの月60万円くらいの収入だった。それに比べると大幅に収入が減ってしまった自分の境遇が悲しく思えた。
いまはとても難しい時代だ。評価経済論で私が述べたとおり、これから汎用の情報パッケージ(音楽CD、ソフトウェア、書籍、電子書籍・・・)を売ることはどんどん難しくなって行く。評価経済の時代には、人間が物理的に身体を動かしてやる必要のある仕事は機械に置き換えられて行くので、雇用が減り人々はカネが稼げなくなるのだが、同時にカネがなくてもなんだかんだと生きていける世の中になる。
こういう時代への過渡期においては、新しい産業に従事する人達ほど、カネが稼げなくなるという矛盾した現象が起こる。それゆえ恐怖を覚えた人達はお役所や昔ながらの大企業にしがみつこうとする。だが、これらの牙城が崩れて行くのも時間の問題とも言える。
はずかしながら、私もこうした大変化を前にして、恐怖に足がすくんでしまった。ネットからだけカネを稼ぐことの恐るべき不安定性に戦慄した。
私は評価経済への移行を焦りすぎたのだ。社会は一足飛びにそこに到達するわけではない。長い移行期を経ていく。その過程では、従来の貨幣経済と非貨幣的な評価経済の不思議な同居が続く。私は現実的にはその両方に足をかける必要があるように思える。
エルムラボは、多くの人たちが大変喜んでくれている。だから、これだけはきちんと続けていきたいと考えている。具体的にどういうことを今年していくかはまだいろいろと思案中なので、ブログには書けない。はっきりしたらみなさんに報告したい。
(こんな個人的なことをいちいち書くことに意味があるのかどうかはわからない。ただ私はパブリック・マン宣言を裏切りたくはない。ブログ上で私の生き方について定期的に報告することに、ある種の社会的責任を感じている)