elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

独り言をつぶやく

私はかつてブログで少し人気があったことがあって(と主観的には認識していて)、ブログを書くときにはなにか面白いことを書かなければならないというプレッシャーを感じている。一方で、Twitter にはそのとき思いついたことを思いついたまま、書きなぐっている。Twitter はツィートの前後関係を気にしなくて良いので大変気楽である。

いまは個人の主張をするのにブログを主なツールとして使う人たちが減っていて、むしろ Youtube が主戦場になっている感がある。私は Youtubeに動画を上げることも考えたことがあるが、とりあえず準備が大変そうだ。ブログなら文字を書きなぐればそれで成立するので、動画よりは楽である。

私は今年の6月で53歳になる。人は長く生きるにつれて、経験と記憶が身体の中に蓄積していき、ついそれを語りたくなる。年寄りの話が長くなりがちなのはそのせいなのだ。とにかく中年以降、自分の話し方に注意を払わないと、基本、長々と話すものだと思ったほうがいい。私は特に若い人と話すときには、自分の話が長くなりすぎないように、説教臭くならないように気をつけている(少なくとも意識上は)。その努力が実っていることを祈るばかりだ。

その代わり、ブログでは自分がリアルでは話せない、こまごまとした思いを書き綴ってもよいのかもしれない。ここなら話を書きなぐなっても、読者は途中で読むのを辞めればいいだけのことだ。別に上司が業務で送ってきた文書でもない。読んでも良し、読まなくても良し。その程度の文章である。だらだら落ちのない話を書いていくので、面倒になったらいつでも読むのをやめていただきたい。

最近の自分について少し語ってみよう。私のツイートを見ている方々はよくご存知だと思うが、私は、いま日本の将来につくづく絶望している。EV化に乗り遅れた自動車産業が数年後崩壊しそうであるのと、長年の放漫財政を支えてきた日銀の財務がいよいよ危うそうだからだ。いまは、まだどうということはない。だが、これは、不謹慎な例えかもしれないが、予後の悪いがんが見つかったばかりの患者のようなものだ。がんは自覚症状がないことも多い。数年後にはかなりの確率で致死的であっても、いまはまだ元気だし、生きている。いまの日本はそんな状態に思えてならない。

まだ、身体は動くわけだし、死んではいないのだから、何らかの治療法はないのか、とは思うだろう。これが本当のがん患者なら、すぐ入院して、抗がん剤治療やら、手術やらするところである。ところが、私がより絶望するのは、日本全体が現実否認状態に陥っていることである。おそらく各分野の専門家は薄々気づいてはいるのだと思う。だが、真実を暴き立てて、場の空気を乱すことを恐れている。あるいは、単純に、その人の地位を危うくするために、口をつぐんでいる。つまり、がん患者の例えを続ければ、検査の結果、がんが見つかったというのに「そんなものはない」と現実を否定し、治療も拒んでいるという状態なのだ。ただでさえ、ほぼ手遅れなのに、治療さえしなければ、後は死を待つのみではないか。

おまけに、私が50代に入って、おそらく加齢に伴う身体の変化が起きていることも関係している。コロナ以前は、シェアハウスに住んでいたが、コロナがきっかけでいまは都内のワンルームマンションに住んでいる。長らく人と会わない生活が続いて、いまや生活が大変淡白なものになってしまった。若かりし頃のように、異性にときめきを感じることも少なくなり、改めて、自分が何のために生きているのかよくわからなくなった。この数年は真面目に働いているので、経済的には生活に不安はない。だが、その一方で、次に何をすべきという目標も見失ってしまったように思う。

日本の将来への絶望と、加齢に伴う感情の平坦化で、いま私はたゆたう深海魚のように、日々を淡々と暮らしている。決して不幸ではない。だが、強烈な幸福感も感じない。落ち着いた日常。そう考えるとまんざら悪くもないのかもしれない。だが、自分の老化と日本の衰退がちょうど時期的に重なり、いまが一番いいときで、未来はただ悪くなっていくだけだという暗い気分を拭えない。

どうなんだろうね。

老化が進めば確実に心身の機能は衰えていく。病気もしやすくなるだろう。だか一方で、精神的には成熟が進み、より深い幸せを感じられるようになるのかもしれない。そう考えると一概に悪いことばかりではない気もする。

日本の未来も、暗いことは暗いのだが、物事は永遠に悪化することもない。自然はバランスを取ろうとする。ある物事が一方方向に進むと、それを引き戻そうとする力も働き始める。それが自然の摂理だ。日本が経済的に衰えていけば、日本は海外に援助を求めざるを得なくなる。海外から見れば、日本人のリソース管理に無駄があるわけだから、それをうまく使える外国人にはビジネスチャンスがあることになる。外国の企業やら援助団体がやってきて、日本で活動するようになるだろう。先進国時代を知らない若い日本人たちは、先入観を持たず、そういう外国勢力に学び協力しながら新しい日本を作っていくのだろう。

私はそのころ高齢者になっていて、新しい日本の建設に貢献はできなくなっているかもしれないが、それも仕方ない。そうやって、世代は交代していくのだ。

・・・とそんなことを反芻しながら最近は生活している。

とりあえずは私は今年はシェアハウスに戻ろうかと思っている。 それをきっかけに人生の新しいフェーズに入っていけると良いのだが。