私は経済を見るとき、雇用にこだわっている。雇用されること、つまり人間が労働してカネをもらえるということはとても重要なことだ。生まれつきの資産を持っていない大多数の人たちにとって、大人になって、生計を立てるためには、労働をするしかないからだ。
日本ブランドなら海外生産のものでも応援するみたいな考え方を日本人はよくすると思う。しかし、これは合理的な思考とは言えない。普通の日本人に関係するのは日本国内の雇用だけだからだ。恩恵を受けるのはその企業の幹部社員と株主だけなのである。日本に雇用を生んでくれるなら外資でも本来は良いはずなのに、日本ではなぜか敬遠される。
そのように普段から雇用という視点にこだわっている私だが、その一方で、未来にはAIがすべての人間の労働を奪うだろうとも考えている。これは矛盾だろうか?いや、実は単にタイムスパンの問題である。
AIの進歩は大きな生産性の向上をもたらすだろう。しかし、それは一夜にしては起こらない。実際には10年単位の時間がかかるだろう。だから向こう10年くらいは日本で良質な雇用を生むことは依然重要である。
しかし未来に時計の針が進めば進むほど、AIによる自動化は進んでいく。
人間の認知能力には限界がある。それがずっと技術の最適な配置を妨げてきた。社会に新技術が導入されても、労働者はすぐには習得できないので、「雇用維持」を名目にその導入に抵抗するのである。いま、EV化や再エネ化がなかなか進まないのも、内燃機関車や化石燃料の製造販売で飯を食べていた人たちが、一瞬で新しい技術を覚えることができず、新技術に移行できないからという要素が大きい。
経済学では生産に必要なものを生産要素という。生産要素としては資本と労働があげられるが、資本は自由に形を変えていけるのに対して、労働は人間と結びついているので一筋縄ではいかない。経営者側の視点でいえば、企業が競争に打ち勝つためには、いち早く新技術を導入して、より効率的に生産をしたい。しかし、その新技術を使うのは人間の労働者である。彼らが、新しい技術を一瞬で覚えられるかというと必ずしもそうではない。似たジャンルの仕事ならまだしも、たとえば工場のラインで手を動かして仕事をしてきた人に、明日からソフトウェアエンジニアになってくれと言ってもうまく行かないだろう。
技術革新の速度はますます上がっている。一方で多くの労働者はそれに学習がついていけない。ますますボトルネックは人間になりつつある。だから、これからAIによる自動化で生産性を上げていくためには、「人間から労働をひきはがす」必要がでてくる。生産に人間が関与することが少なければ少ないほど、技術進歩に合わせてより柔軟に生産体制を変えていけるからだ。
近い将来、AIは自分で自分を改善しはじめ、指数関数的に賢くなっていく知能爆発のフェーズに入るだろう。そのとき、生産体制からどれくらい人間を排除しているかが極めて重要になる。人間は知能爆発に伴う技術進歩の速度に全くついていけないので、生産に関与する人間が「足手まとい」になってしまうからである。
労働所得を中心に生活設計をする。それは人類が長く続けてきた習慣だったし、シンプルで分かりやすい。社会の平和を考えれば、それがずっと続いた方がいいのかもしれないとも思う。だが、それは同時に、生産において、知的に制約だらけの人間に全面的に依存することを意味していて、技術進歩の成果を十分な速さで反映できないという重大な欠陥をもっている(気候変動が悪化し続けているのもこれが原因)。AIにより機械が判断力を備えつつある。知能爆発はその判断力を加速させる。純技術的には、人間は、労働というこの長く慣れ親しんだ習慣を手放すべきときが近づいているのだ。
資本主義は、競争に勝利した者に大きな報酬を与える。そのため、企業はAIを使った省力化を今後も強力に進めていくに違いない。それによって、否応なしに人間から労働がひきはがされていく。労働所得を失った人間には何か別のものを与えなければならない。おそらくはベーシック・インカム的な何かを。ところがそこに至る道は極めて政治的に困難である(この議論はさんざんしたので、ここでは繰り返さない)。
AI化は、かつての狩猟採集から農業への生産性革命に近く、人類にとっては偉大な跳躍になる。しかし、暗く深い谷底を飛び越えなければならない。それが人類にできるのかどうか。それはとても危険なジャンプになるに違いない。私にはどうやったらその成功確率を上げられるのかわかっていない。今後も考え続けようと思う。人類にとってとても重要なことだから。