elm200 の日記

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AIに仕事を奪われていく過程について

『「AI・ロボット税」でベーシックインカムを! BIは「ポスト資本主義」時代への架け橋』。いろいろ考えさせられる著作だった。

著者の北野慶氏は長く韓国語の産業翻訳をフリーランスを生業としてきた。実はこの方の note によると、文学賞を取った小説家でもあるらしい。道理で文章が上手いわけである。

昨日紹介した著作とは違い、財源として「AI・ロボット税」を使うべきだとはっきり謳っている。期待してその説明箇所を開いたのだが、基本的に書いてあることはこれだけである。

AI・ロボット税の算定基準を決めるのは容易なことではなく、慎重を要しよう。まず、変わらぬ利益を出している会社、成長を続けている会社で、正規・非正規を含めた人件費が減っているか変わらない、もしくは成長度に比べて微かしか増していない会社で、AI・ロボットが導入されていれば、そうした会社からは利益の一定割合のAI・ロボット税を徴収するのが妥当だろう。その際、前述したペッパーの例のように、AI・ロボットが稼ぎ出した儲けを全額徴収したら、企業にAI・ロボットを導入するインセンティブを奪うことになってしまうので、何割程度を徴収するかも慎重に検討する必要がある。こうして徴収されたAI・ロボット税が年額どの程度になるかは専門家会議でも設けて慎重に試算・検討されなければならないだろうが、現時点でも何兆円、何十兆円レベルに達するのではないだろうか?

これには拍子抜けした。企業の利益を基準に課税するなら実質、法人税と変わらないではないか。何とか労働分配率を計算してそれが低い会社にはより多く課税するということなのだろうか?それともAIやロボットの平均的な利用状況を調査して、業種ごとに税率を設定する、ということなのだろうか?何も具体的なことが書いていない。多数の会計士を動員して必死に税負担を下げようとしている企業がそんなに大人しく課税に同意するだろうか?彼らはカネと権力を持っている。政治を動かすのも簡単だ。

私は何冊かBIに関する本を読んだけれども、あまりいい本ではなかったのか、どの本もBIの素晴らしさを称える一方で、財源論には触れなかったり、「財政ファイナンスによる通貨発行で賄えばいい」などと言ってみたり、BIに至る現実的な道のりを具体的に説く書籍にまだ出会っていない。私自身がBIを学び始めたばかりだから、知らないだけなのかもしれないが。

この本の面白いところは実は、終章の自伝と巻末の近未来小説である。

終章は「資本主義の終焉とBIの必然性を確信するに至った私的体験」というタイトルである。1993年に著者が韓国語の翻訳を仕事として初めてから、自動翻訳が少しずつ彼の仕事をやりかたを変えていったさまが生々しく記されている。

1994年に初めて出会った機械翻訳ソフトでは、正訳率は8割。一般の人が読んだらさっぱり意味が分からない珍訳・迷文の類だったという。しかし著者は「将来、翻訳者は翻訳ソフトに仕事を奪われるかもしれない」という予感を抱く。

やがてバージョンアップされた翻訳ソフトを使って、翻訳工程を1/3ほど合理化することに成功。仕事の受注も右肩上がり。ビジネス的には順調な時期が続く。

ところが2004年頃転機を迎える。グローバル化に伴い、単価の安い韓国の翻訳会社が日本市場に進出。また翻訳ソフトがさらに進化して、新聞記事程度の文章なら95パーセントくらい正しく訳出できるように。これに伴い仕事量が急減。同業者たちの多くが失業したが、著者は、自ら単価を下げて、かろうじて生き残った。

しかし、その後も仕事量と翻訳単価の減少傾向は続き、いまは「フェードアウト期」を迎えているという。

著者の体験談で非常に興味深いのは、翻訳ソフトが初めは、著者の仕事を助けて所得を増やす「補完的」な役割を果たしていたのだが、それがある時期を境に、著者の仕事を奪っていく「代替的」な役割に変わっていったということである。

私は、これがAIが人間の仕事を奪っていく典型的なパタンだろうと思っている。先日紹介したIMFのブログエントリーでは、「AIが仕事に与える影響は、補完的・代替的の2種類があり、職種によって違っている」ようなことを書いてあったが、それは現時点の状況に過ぎない。現実には、AIは次の3段階を経て、人間から仕事を奪っていくのだ。

  1. AIはまだ仕事に影響を与えない(無影響期)
  2. AIは仕事する人を助けて所得を増やす(補完期)
  3. AIは人間より仕事がうまくなり仕事を奪う(代替期)

例えば、スーパーのレジ打ちの仕事も、いままでコンピューターによって計算を助けてもらっていた。つまり補完期にいたのだが、いまセルフレジの導入に伴う代替期に移行しつつある。将来、AIを搭載したロボットがこまごまとした例外処理や苦情対応までできるようになったら、人間は完全に失業するだろう。

医師や弁護士については、いまはAIが補完的な役割を果たして、仕事を助けて所得を増やすと言われているが、AIがさらに進化していくとやがて代替されていくのではないだろうか。まだそこまで少し時間はかかるだろうが。

巻末の近未来小説は、2050年を舞台にAIが普及していく過程で翻弄されるさまざまな人々の生きざまを描いている。社会でAIによって仕事が代替されていくうちにどんな仕事を見つけてもすぐに失業するようになっていくが、同時にベーシックインカムも普及していき、最後は仕事はなくても人々はBIに頼りつつ思い思いの人生を生きていく。希望のある終わり方だった。

というわけで、この本も面白い部分はあったものの、「現実的なBIへの工程表」を探す意味では空振りに終わった。また明日以降、BIの財源論とそれを実現する現実的な道筋について考えていこうと思う。