elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

台湾旅行 2019-05

TL;DR

  • 2019-05-02 から 2019-05-07 まで台湾訪問
  • 訪れた都市

    • 高雄(メイン)
    • 台北
  • 使用交通手段

  • テクノロジー

    • 現地 SIM + Google Maps 最強
    • LCC 便利
    • Backpacker の都市間移動には高速バスが便利
  • 個人的感想

    • 台湾人優しくて好き
    • 中国語熱再燃(?)
    • 今後も定期的に海外に出たい

写真

地下鉄美麗島駅 地下鉄美麗島

高雄市で一番高いビル(85スカイビル)からの眺望 高雄市で一番高いビル(85スカイビル)からの眺望

六合観光夜市 六合国際観光夜市(ナイトマーケット)のにぎわい

高雄市歴史博物館 高雄市歴史博物館

高雄市立美術館のアート 高雄市立美術館のアート

監視カメラの前で「微笑してね」。台湾人のユーモア 監視カメラの前で「微笑してね」。台湾人のユーモア。

高雄

雰囲気

  • 高雄市は人口200万人で台湾第三の都市だが、整然としていて、とても歩きやすかった。
  • 年中気温が高いせいで開放的な作りの店が多く、かつ、バイク(ほぼ100%スクーター)が多いので、雰囲気がベトナムにとても似ていた。
    • いわば「看板が漢字で、秩序があるベトナム」という感じ
  • 日本と同水準の生活が期待できる

訪れた場所

  • 高雄市歴史博物館。これは、日本統治時代の高雄市役所をそのまま使用しているらしい。展示では、日本統治時代をことさらに悪く言う風ではなく、日本が近代的な教育を台湾にもたらした点に関しては素直に評価していた。また、228事件という独立直後の台湾にとって非常に不幸な事件について、真摯に反省して未来につなげようという強い意志を感じた。こうした一連の態度に私は知的な誠実さを感じた。
  • 高雄市中央図書館は、極めておしゃれ。敢えて例えれば、代官山にある「蔦屋書店」みたいな感じ。

    • そういえば、ツタヤは日本で実際にいくつかの公共図書館の運営を受託しているみたいだけど、実際のところはどんな感じなのだろうか?
  • 高雄市立美術館も、台湾の芸術家の作品を中心とした個性的な展示が行われておりとてもよかった。日本の美術館とコラボした特別展などもあった。

交通

  • 地下鉄が南北と東西に伸びている。地下鉄は10年前に作られたばかりなので、とても綺麗で快適。
  • 地下鉄は飲食が厳禁。私は水を飲んでいるだけで、ガードマンに注意された。飲食を自由にするとその分汚れやすく掃除の費用もかかる。飲食完全禁止というのは案外合理的かも。
  • 地下鉄は初乗りが20元(約80円)であり、激安である。

宿泊施設

  • 宿泊したのは日本人経営の「あひる屋」というホステル。美麗島という東西の地下鉄の交差点にあるので、とても便利な立地。内装も現代的でとてもおしゃれ。共有スペースにあるテーブルはカフェのようだ。とても快適な宿だった。
    • あえて残念な点を言えば、人はこういうきれいなところにいると、あまり羽目をはずさない。いかにも今風だが、みんなPCとスマホを相手に黙々作業をしており、宿泊者同志の交流があるようには見えなかった。いっそのこと、宿泊者用の slack チャンネルでもあればよかったか?(笑)

食事

  • 食事は安くてうまい。特に屋台風の昔の店で食べると安い。100元(400円)もあれば腹いっぱい食べられる。朝食の店はそこら中にあるし、夜もナイトマーケット(夜市)で食べればいいし。
  • 至るところにセブンイレブンがある。それよりずっと数は少ないが ファミリーマートもあった。セブンイレブンは日本とほぼ同じ構成だが、おでんや中華まんを客が自分で選んでレジに持って行くところは違う。これは省力化につながるので、日本も真似すればいいのにと思った。
  • セブンイレブンには日本の菓子やお茶がたくさん売っている。日本語のままのものもある。私は龍角散の飴を約50元(200円)で買った。日本だと100円で売っているものである。

台北

  • いろいろ考えた末、結局、再びアロハバスを利用。今回は空調の温度はちょうどよかったが、トイレのすぐ後ろの席になってしまい、足が伸ばせず少し窮屈だった。トイレのそばの席には座らないほうがよいという知見を得た(いつこれが再び使えるのかわからないが)
  • 台北の宿泊先は「あかり」というゲストハウス。もともとは「おおしろ」という名前の日本人経営のハウスだったが、いまは台湾人女性のオーナーに変わっている。ただ、雰囲気はそれほど変わっていない。昔ながらのゲストハウスである。台湾人オーナーが接客してくれたが、あたたかみのある人だった。
  • 台北はやはり高雄よりずっと人や車が多い。ほとんど東京と変わらない雰囲気。新しい店が多く、伝統的な古い台湾風の店はだいぶ少なくなっている印象(台北駅の周りだけの話なのかもしれないが)。

テクノロジー

USB 充電器

  • 台湾には至るところに充電器がおいてある。特にスマホに直接つなげられる USB 充電器は街中で見かけた。

支払手段

  • 高雄の場合、ほとんどの人たちが Suica のような交通系のカードを使って、地下鉄やバスに乗っていた。
  • それ以外の点ではそれほどキャッシュレス化が進んでいるようでもないようだった。日本よりは進んでいるにしろ、中国大陸に比べたら、全然という印象。

Google Maps すごい

  • 今回、スマホ時代に入って初めて本格的に個人旅行をしたのだが、Google Maps の圧倒的な力にひれ伏すしかなかった。Google Maps で経路案内を選択すると、バス路線も完璧にナビしてくれるので、結局、最後までタクシーを使う必要がなかった。Google 実に恐るべし。
  • Google Maps はおまけに最寄りの Uber の車までサジェストしてくれる。私はスマホUber のアプリを入れていなかったので使えなかった。今度海外に出るまでには、Uber アプリとサインアップを済ませておこうと思った。

現地SIM重要

  • 渡航直前、成田空港で台湾の SIM を購入した(テレコムスクエアという店で買える)。5日間使い放題で1400円。私は非常に安いと思う。1400円のもとはゆうに取った。この SIM のおかげで、街歩きするとき、Google Map の圧倒的支援を受けられたのであるから。現地SIM + Google Map は今後の海外旅行の基本スタイルであろう。

LCC の発展

  • あと10年前と変わったのは、LCC の発展だ。とにかく LCC が良く飛んでいる。今回は、GWに旅程がかかっていることもあり、そこまで安いわけではなかったが、それでもかなりリーズナブルな価格で飛ぶことができた。
  • LCCは、手荷物の量に厳しい制限があることと食事は有料なのが欠点ではあるが、逆に言えば、食事が出ない分邪魔されず睡眠に専念できるという考え方もできるので、とてもよいと思う。

高速バス

  • 台北と高雄の移動には高速バスを使った。台北→高雄は、阿羅哈(アロハ)客運という会社の高速バスに乗った(730元(2920円))。 とにかく豪華。
  • 2列シートで基本的に飛行機のファーストクラスみたいな席。冷房が効きすぎている(これは南の国のあるある)ことを除けば、完璧に快適だった。
  • 台湾は交通手段の選択肢が多い。鉄道もよい(日本より運賃が安く、バスより高速)が、快適さではおそらくバスに軍配が上がる気がする(といいつつ、鉄道にはまだ乗っていないが)。

個人的感想

台湾人について

  • 台湾の人は優しい。何かを買うと、普通の店の人が「謝謝」と言葉を掛けてくれる。大陸の人たちと違って、信号は守るし、列は作るし、大声で話さないし、街でゴミも捨てない。華人は基本的に押し出しが強い人が多いのだが、その中ではむしろ控えめに見える。日本人にとっては違和感なく付き合えるのでありがたい。
    • 俗説では、こういう気質は日本統治時代の影響ともいうが、真実はいかに。

中国語について

  • 私は2004年頃、中国大陸で中国語を学んだ。ほぼすべて忘れていたが、数日、台湾にいるにつれて、少しずつ思い出してきた。台湾人とは、私の片言の中国語か、英語で話した。若い人の中にはかなり英語の上手い人もいた。

  • 台湾人とより深くコミュニケーションを取るために、中国語(北京語)を改めて勉強したいなと思った(実際に時間が取れるかは不明であるが)。中国語の発音は、ベトナム語に比べれば易しいので、あともうちょっと努力すれば、中国語が聞き取れるようになりそうな気もする。そうすれば、コミュニケーションはずっと楽に、楽しくなりそうだ。

今後の展望

  • 今回は久しぶりの完全個人旅行(たぶん7年ぶりくらい?)なので、海外個人旅行の勝手をはじめ完全に忘れていて戸惑った。しかし、台湾に来て数日するうちにだんだんかつてのノリを思い出してきて、調子が出てきた。調子が出始めた頃に帰国しなければならないのは残念である。

  • 私は、今後は定期的に海外に出て、この海外をサバイブする能力を一定程度、維持し続けたいと思った。私は、本質的に旅人らしく、旅に出ているときが一番自分らしい気がする。世の中には一定数こういう人たちがいて、たぶんそういう人たちは定期的に旅に出る必要があるのだ(理想的には、旅の中に生きるべきなのだ。松尾芭蕉のように)。

イチローとケムリクサに共通するもの

ずっと書きたかったのだが、ようやく時間がとれたので、簡潔に。

イチローが引退した。3月21日のことだった。

その中で印象に残っている言葉がこれ。

oreno-yuigon.hatenablog.com

少年にメッセージを送ってほしい

野球だけでなくてもいい、自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけてほしい。 夢中になれるものが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていくことができる。 それが見つけられないと、壁が出てくると諦めてしまう。 色んなことにトライして、自分に向くか向かないかよりも、自分が好きなものにトライしてほしい。

私はこの一節を聞いたとき、思わず涙ぐんでしまった。素晴らしいよね。「向く向かないか」ではなく「好き」で自分の道を決めろと。イチローは結果として大成功したけど、それは後から見たらそうだったという話で、最初から成功するかどうかなどわからなかった。プロ野球の世界は厳しい。超一流の才能を持った人でさえ、いろんな事情で活躍することなく去っていくことがある世界。イチローは恵まれた資質を持っていたのは確かだろうけど、それでも彼が絶対に成功する保証はなかった。

彼はインタービューの別の箇所で、「野球を愛する気持ちだけは変わらなかった」と言っている。できるから、成功できそうだから、やったのではなかった。好きだからこそ続いた。結果として成功した。ただ、イチローは自分が成功しなかった別の世界線のことも常に胸に抱いている気がする。それでも、きっと彼は後悔しなかっただろう。好きを貫けたのなら。

もうひとつ。

今クールで大変人気を博しているアニメがある。「ケムリクサ」だ。

私は3年ぶりにブルーレイを買ってしまった。監督は、2年前、「けものフレンズ」でその名を轟かせた、たつき氏。彼を含むわずか数名の少数精鋭で制作された。中身は見ていただくとして(アマゾンプライムビデオで視聴可)、「『好き』を見つけること」というのをテーマにしている。

たつき監督は、とにかくアニメ制作に強い情熱を持った人で、「週5日仕事でアニメを作り、休みの2日で趣味のアニメを作る」と言われている。その彼が全身全霊を注いで制作した「けものフレンズ」は空前の大ヒットとなった。ところが、その直後、不可解な事情にて、「けものフレンズ」の制作から離れざるを得なくなった。身を切られる辛さであっただろう。だが、彼はアニメ制作をあきらめなかった。今度は、この「ケムリクサ」の制作に取り組むことになった。

結果は、再度の大ヒット。完全に名声を確立した。この作品のテーマが「『好き』を見つけること」なのは、彼がアニメを好きだという気持ちを、作品を通して再確認したかった、というのもあるのではないかと想像している。

私は、いま仕事の方向性を大きく変えつつある。ウェブエンジニアから機械学習エンジニアへ。いま機械学習に対して強い情熱を感じている。これは私の「好き」なのかもしれない。成功するかどうかはわからない。でも、イチローが言うとおり、「自分が好きなものにトライ」すべきなんだろうと思う。イチローがそうしたように。たつき監督がそうしたように。ちょうど私がそういう思いでいるときに、この二人のメッセージは心に深く刺さった。

個人的な気持ちを抜きにしても、いまは「好き」を追いかけるべき時代なのかもしれない、とも思う。定型的な仕事は、どんどん機械に置き換えられていくような時代だ。機械に置き換えられない、個性的な仕事ができなければ、職を失うかもしれない。そのためには、「好き」を追いかけるしかないのではないか。好きだとしても、必ずしも成功するとは限らない。結局、方向転換しなければならないこともあるだろう。だが、そうやって挑戦したことは決して無駄にはならないと思う。そして、仮に最後まで成功できなかったとしても、それでも良いと思う。なぜなら、結局、好きなことをやれたのだから。好きなことをやっているうちは楽しいのだから。それは、金銭や名声には換えられない、一番大切なことじゃないだろうか。

書評「Scratchで楽しく学ぶ アート&サイエンス」

Scratch は、画面上でグラフィカルな部品を組み合わせるだけで、プログラムが作れるという開発環境である。 そのため、子どもたちにプログラミングを教えるときに使用することが多い。

プログラミングを学習する意義、Scratchの基本的な使い方超入門 (1/3)

友人の石原淳也氏は、長年 Scratch を使って、子どもたちにプログラミングの楽しさを伝えようと尽力されてきた。 CoderDojo 調布での活動がその一例である。

石原さんは、最近、

Scratchで楽しく学ぶ アート&サイエンス

Scratchで楽しく学ぶ アート&サイエンス

という本を出版された。献本深謝。

石原さんを通じて Scratch を知って、おそらく10年以上経つのだが、私の思考回路がテキスト処理を指向していたため、あまり馴染めていなかった。

「アート&サイエンス」という言葉がタイトルに含まれていることからわかるように、この本の内容は結構硬派である。「加速度運動」「論理回路」「確率」「三角関数」「円周率」「フラクタル」等々、大人向けのテーマになっている。Scratch は、画像表現に優れているので、こうしたテーマを巧みに画像(動画)にしていく。Scratch の例題と同等の動きをするプログラムが他の言語(Ruby, Processing, JavaScript, Python 等)でも掲載されている。

個人的には、「第5章フラクタル図形を描いてみよう」が好きだった。フラクタル図形は、「部分に全体が含まれる」ような図形で、自然界の至るところで見られる。例えば、木の枝分かれなども、フラクタル図形と言えるだろう。この本では、「シェルピンスキーの三角形」「コッホ曲線」「ツリー」等が取り上げられている。

私もフラクタルなネタを探した。数学好きの友人に尋ねたところ、「フィボナッチ文字列フラクタル(Fibonacci word fractal)」を勧めてくれた。フィボナッチ文字列フラクタル。名前からしてカッコイイ。これにしよう。

フィボナッチ文字列フラクタルとは、フィボナッチ文字列(フィボナッチ数列の文字列版)に基づいて、一定の規則でペンを動かしていって、描かれる図形のことである。詳しいことは、この素晴らしいサイトを参照のこと。

フィボナッチ文字列フラクタル - 数学自由研究

やってみた。

youtu.be

プログラムは以下のとおり。

f:id:elm200:20180909184007p:plain

Scratch でも、他のコード断片(ブロック)をサブルーチンとして呼び出すことはできるのだが、戻り値は持てない。そのため、再帰を使ったコードは書きづらかったのは残念。とはいえ、Scratch でもこんな複雑な処理がこなせるのだなと、このプログラムが完成したときは嬉しかった。

この本は、

  • Scratch でプログラムを書いてきた子供たちが、科学に親しんだり、他のプログラミング言語をはじめる
  • Scratch 以外の言語でプログラムを書いてきた大人が、Scratch に親しむ

のどちらにも役に立つと感じた。

自分が能動的に社会に働きかけていくということ

ブログをそれなりの頻度で更新しようと思いつつ、なかなかそれができていない。今日は最近考えていることを書いてみよう。

私は今年の6月で48歳になった。48歳!数字だけを見るとだいぶ歳を取った気もする。たしかに若い頃に比べればいろいろ身体の変化も感じることがあるし、それだけの年輪を重ねてきたという実感はある。その一方で、精神にはまだ若々しい、あるいは未熟な部分も残されていて、48歳だからといって枯れ切っているわけでもないのだな、という風にも感じている。

私は物心ついたころには、すでにひねくれた子供だった。今思えばその原因らしきものは思い当たるがそれについては詳述しない。いずれにしろ、私は自分の周囲の環境と直接的なコミュニケーションを取るのが難しかった。あるものが欲しければとりあえず「それが欲しい」と言ってみればよいのに、そういうことができなかった。周囲から私への働きかけに対しても、適切に応答できなかった。うまくコミュニケーションが取れれば、周囲の私に対する対応を変えていくこともできたかもしれないのに、私はそれらの物事を変化しようのない所与のものとして受け止め、内面的に悩み続けた。いろいろ不幸な事情が重なっていたのだろう。

私は、かねてからブログで日本社会を批判してきた。だが、その批判のかなりの部分は、その子供の頃のひねくれたコミュニケーションの延長線上にあるのかもしれない。私は、自分で自分の生きる環境を選びとることができる大人になっているのにも関わらず、心のどこかの部分は、親もとで暮らし自分で環境を選択できないまま、もがき続けた子供時代にまだ生きているような錯覚を持ち続けているのかもしれない。

私は技術屋なので、技術的な事柄については、全てが可変であることを知っている。いまは技術的にある目標が達成できなかったとしても、それはたまたまいまの技術水準がそうであることを示すにすぎず、未来の技術革新によって可能になるかもしれない。ところが、不思議なことに、技術に疎い一部の人たちは、常に現在の技術が所与(不変)のものとして、社会を論じようとする。おそらく、彼らが技術の動作原理を理解したことがなく、またその動作原理に基づいて、技術的な改良ということを行った個人的な経験がないことに基づいているのかもしれない。

ただ、私はその一方で、社会的な事柄については、その技術に疎い人たちが技術的進歩に対して取るのと同じ態度を取っているのかもしれない。日本社会の諸様相、あるいは、自分の周囲の社会的環境といったものも、実は、決して不変なもの、あるいはただ受動的に甘受しなければならないものではなく、絶えず変化していくし、また、小さいながらも自分の意志によってある程度までは変化の方向性に影響を与えることもできるはずなのだ。私はどうもそういう方面の発想ができない個人的偏見を抱えているらしい。それはおそらく子供のころ、自分の周囲の人たちとうまく意思疎通できず、有効に周囲に働きかけることができなかったという個人的な経験(成功体験の欠如)に基づいているように感じている。

確かに、日本社会の抱えている問題は大きい。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

この「失敗の本質」で描かれているような問題は、いまだに日本社会の根深く残っており、それゆえ、いま日本社会全体としては、太平洋戦争に続く第二の敗戦に向かってひた走っている。個人では直接には抗いようのない大きな力がここに働いている。

Imagining Japan: The Japanese Tradition and its Modern Interpretation

Imagining Japan: The Japanese Tradition and its Modern Interpretation

  • 作者: Robert N. Bellah
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あるいは、米国の宗教学者であるロバート・ベラーの書いたこの本を読んでも、日本的なものがいかに根深く容易に変わりうるものではないことを再確認させられる。

徳川時代の宗教 (岩波文庫)

徳川時代の宗教 (岩波文庫)

読んだことはないけれども、日本語で読めるものでは、この本も良さそうだ。

ただ、同時に文化や民族性といったものも、完全に不変ではなく、長い時間をかけながら少しずつ変化していくのも事実だ。まして、いまは、インターネット上で世界の隅々まで一瞬で情報が駆け巡り、航空機が世界中を行き交い、あらゆる地域の人々がお互いに影響を与え合う時代だ。少子高齢化が進む日本では、今後、若い外国人の人たちに大勢日本に来てもらい、次世代の日本社会の一翼を担ってもらう必要も出てくるだろう。ある種の「原型」としての民族性のしつこさを決して軽視はできないが、変化していく部分が全くないと悲観するのも早計である。

私は、48歳になった。ほぼ半世紀生きたことになる。そろそろ私は長い「幼年期」を脱して、大人としての責任を担い始めるべき時なのかもしれない。大人になるというのは、自分の背負っているものについてすべて自分で引き受ける覚悟をするということだ。誰か他の人のせいにしないということだ。自分のできることはもちろん小さなことに過ぎないが、同時に本気で取り組めば、ほんのわずかだけこの現実の社会を変えることになる。社会というのは個人の集積で成り立っており、私たち一人一人が即社会の一部であることは自明である。そういう一人一人が自分自身のその周辺を変化させれば、それは小さいながらも社会が変化したということである(もちろん、社会には大きな慣性が存在するので、せっかく個人が起こした小さなよい変化も、再び押し流されて元に戻ってしまうということもよくある。だが、同時に新たな傾向性として定着していくこともある)。

当たり前のことだが、人は自分のできることしかできない。だが、逆に言えば、どんなに小さくとも、自分にできることさえすれば、それは人として生まれてきた使命を十分果たしたと言えるのではないか。まずは、身近なことから始めていこうと思う。自分の仕事や私的な人間関係において、他者に奉仕する心を持つこと。独善に陥ることなく、緊密な意思疎通を図りながら、意見を集約して、よい変化を起こしていくこと。学習や運動を通じて、可能なかぎり自分の頭脳と身体をよい状態に保つこと。私のしたことなど、やがて忘れ去られていくだろう。意味などないのかもしれない。だが、あるいは別の形に姿を変えて、密かに後世に伝えられていくのかもしれない。それは自分には制御できないことであり、深く考える必要はないだろう。

自分のできることを少しずつやっていこう。無理せず焦らずに。そんなことをいま私は考えている。

アニメを見るのをやめて、Vtuber を見始めました

なんとなく恥ずかしかったので、あまり公言してこなかったのだけれども、この3年くらいは、私はアニメをすごく良く見ていた。いわゆる深夜アニメ。どんなジャンルと言われるとよくわからないが、結果的にざっくり言えば、萌えアニメが多かった気がする。私は、あんまり突飛な設定のファンタジー物は好きではないので、現実を舞台にした作品というと、ほとんどが萌えアニメになってしまう。個人的には、京都アニメーションの作品が好きだったかな。響けユーフォニアムとか。

アニメを見るのは楽しかったし、いろいろ人生や社会を学ぶことができる作品もあった(SHIROBAKOとか、ちょっと古いけどプラネテスとか)。ただ、男性向けアニメの多くの作品における女性観に馴染めなかった。あまりに男性の妄想に忠実すぎるというか、都合が良すぎるというか。リアリティがまるで感じられない作品が多かった(もちろん全部じゃないけどね。いまやっている「ヒナまつり」の女性たちはなかなかリアルで良いと思う)。

たまたま今年4月からの期のアニメがあまり興味が持てなかったこともあり、去年の暮あたりからぼちぼち見始めたバーチャルユーチューバ(Vtuber)を本格的に見始めたのだけど、これが大変面白い。最初、ミライアカリとかキズナアイとか一般的なものから始めて、富士葵の素晴らしい歌声にやられた。だが、本当にやばかったのは、じつは「にじさんじ」勢だった。チープな2Dの絵を使って生配信をする人たちの集団なのだけれども、素人くさいところがかえってすごく生々しく、それぞれの個性が良く出ていて、面白い。にじさんじには、私も他の人たちと同じように、いちばん人気の月ノ美兎から入った。この「自称」女子高生は、実に素晴らしいエンターテイナーで、サブカルに造詣が深く、語りの切れ味が実に素晴らしい。彼女の企画の一つを通じて、こんどは鈴鹿詩子というVtuberを知った。彼女は、腐女子であり、BLについて実に生き生きと語っている。まあ、これらはほんの一例で、とにかくさまざまな Vtuber たちの個性が炸裂しているのがこの2018年の現状なのである。

あんまり他のものを腐しても仕方ないのだが、正直、現在の生き生きとした Vtuber 現象と比較すると、いまの日本のアニメはいかにもマンネリで、特定の、カネを落としてくれそうなファン相手に特化しすぎている感があり、ずいぶん興味が薄れてしまった。人気 Vtuber は現在のところ女性のほうが多いのだが、アニメの女性キャラよりずっとリアルな女性に近く、個性があって魅力を感じる。

こうやって考えると、世の中には才能にあふれた人たちがたくさんいるのだなあ、と改めて思う。テレビの場合は、放送の枠が限られていたために、そこにタレントを押し込む力を持つ芸能プロダクションが幅をきかせ、タレントを強圧的に支配した。それに比べると Vtuber たちはバックに企業がいることは多いとはいえ、みな、純粋にタレントを支援する姿勢を維持しているように見えるのは好感が持てる。これは Youtube, Mirativ, SHOWROOM などの配信媒体がTVの放送枠のように排他的ではなく、基本的に誰でも何時間でも配信できるからだろう。チャンネルの希少性が解消された結果、個人の個性が全面的に開花したのだ。素晴らしいテクノロジーの勝利だと思う。

ブームである以上、いつかはこのムーブメントも失速することもあるだろう。だが、いまはとにかく面白いので、しばらくは Vtuber たちの活躍を見守っていきたいと思っている。

日本人は海外に脱出することなんてできない

久しぶりに時事ネタについて、ブログを書いてみよう。ブログとなるとつい気構えてしまうのだが、ツイートする感覚で気軽に書いてみる。したがって内容は薄くなると思うがご了承ください。

toyokeizai.net

とりあえずこんなツイートを流してみた。

いつもはこの後、連続ツイートをするのだが、今日はツイートの代わりにブログに書いてみよう。

この手の話題が大好きなはてなーたちはブックマークコメント上で大盛り上がり。

b.hatena.ne.jp

その中の典型的なコメントの一つがこのようなもの。

sasagin やっぱりいつでも日本を捨てれる用意はしておかないといけないよね。英語はその第一歩。

まあ、理論上はそうなんだけど、「日本を捨てる」のは現実には非常に難しい。この sasagin さんは違うかもしれないが、日本人は一般的に、海外で働くことの難しさを舐めている。駐在員として日本人が大勢海外で働いているから、なんとなく海外で働くのは簡単という印象を持っているのかもしれないが、それはその人が信用のおける大組織の一員として海外に出ているからこそ働けるのであって、一般論として、個人が独立して海外に行って働くのは非常に難しい。端的に言えばほとんど無理だ。そういう人たちには就労ビザが下りないからだ。

(一応解説しておくと、外国人という存在は、どの国でも、原則として就労はできない。就労ビザとか労働許可とか、国によって制度はいくらか違うが、いずれにしろ、国からの公式の許可があってはじめて、就労できるのである。だから、語学力だとか、企業からのオファーだとか、それも大切だけど、そんなものより、就労ビザが一番大切なのである。現に、本人に能力も意欲もあり、企業も働いてほしいと願っているのに、ビザが下りないがゆえに、泣く泣く帰国するなどということは、日常茶飯事だからだ)

発展途上国ならまだビザは下りやすい(当然、給料は非常に低いが)。先進国で外国人が就労するのは非常に難しい。移民国家と言われていた米国でさえ、トランプ政権の消極的な移民政策とも相まって、米国の大学を卒業した若い人たちでさえ、仕事を見つけられず、あるいはビザの更新ができずに、泣く泣く帰国することが増えているそうだ。

アメリカ留学に異変、トランプ政権下で変わる移民法と留学生への影響 – 留学コラム|iae留学ネット

焦点:米国で専門職ビザの差し戻し急増、外国人採用に暗雲 | ロイター

こういう海外で働くことの大変さがまるでわかっていない人たちが、日本に来る移民たちについて論じている。正直、不毛な感じではあるが、みんな海外経験があまりないのだろうから、責めるのも気の毒かもしれない。実際、私だって、29歳でカナダに渡るときまで、海外の移民事情なんてまるで知らなかったからね。

現実的に海外に渡る方法は次の3つくらいかなあ。

  1. 若くて優秀な人が、先進国の大学に行き、卒業後、現地で就職する。これが王道中の王道。ただ、国によっては、費用が非常にかかる上に、最近は先進国の多くが移民受け入れに慎重になりつつあって、以前ほど簡単ではなくなっている。

  2. 海外に支店・工場を持つ日本企業に就職し、そのツテで海外に行く。駐在員として赴任すれば経済的には恵まれる。ただ、当然、所属企業の都合に従う必要があるから、行く国は選べないし、いつ日本に戻されるかもわからない。現地で日系企業に就職することもできるが、報酬は期待できない。この方法で、先進国に行くのはまず無理で、働く国はたいてい発展途上国になる。とはいえ、特定の国に長くいたい場合には、一番現実的な方法。

  3. お金持ちなら、現地に投資することで長期の就労ビザまたは永住権が得られることがある。何らかの事情で日本を脱出することだけが目的なら、外国で遊んで暮らしてもいい。それくらいのカネはあるのだろうから。

ということで、中年以降の人間が海外に出ようと思った場合は、現実的には、2か3しかない。2も駐在員になるのは難しく、現地採用は経済的に寂しいものがある。いっそのこと、日本でカネを貯めるだけ貯めて、3のコースで海外に出るのがなんだかんだ言って一番いい方法かもしれない。だから、外国に住む→英語力とおもっている人たちが多いけれども、実際に一番必要となりかつ頼りになるのは、カネだったりするのだ。本当にたくさんカネがあれば、外国語など話さなくても通訳を雇えばいいだけの話だしね。

これから、日本経済がどんどん衰退して、人々が貧乏になるという話をしているときに、どうしてカネが一番モノを言う海外脱出ができるというのだろうか。9割以上の日本人は、たとえその意志があったとしても、海外に脱出なんてできないのである。だから、日本で自分の人生を何とかするしかない。結局、自分自身でミクロ的に道を切り開いていくしかないのだが、できればマクロ的な環境もよければサバイバルが楽になるのは確かだ。

いまは日本人はあれこれ言っているけど、今日私が書いたような事実を知るにつれて、現実に向き合うしかなくなるだろう。移民受け入れしかない。まあ、移民というか、現実には、外資を導入して、その管理職の人たちがやってくる、という形で外国人が入ってくる可能性も高い。日本企業が30年前、中国に進出したときのような感じ。その逆バージョンが日本で起こるわけだ。

その先進的な例がニセコなのかもしれない、と私は思っている。

gendai.ismedia.jp

この著者には、一定のバイアスがあり、あたかも外国企業が日本に侵略してきたみたいないい方になっているが、実際には、地元自治体は外資を勧誘したようだし、日本人が英語バリバリのホテルでホテルマンはやれなかったとしても、当然、裏方やら、出入り業者やらの日本人たちは一定程度潤っているだろうし、税収だって上がっているだろう。いずれにしろ、誰もビジネスをしなくて、衰退していくよりずっとマシだろう(まあ、あんまり言うとかわいそうだが、同じ北海道には夕張という、うまく行かなかった例もある)。

多くの日本人は、外国には行かないし、行くこともできない。だが、実際には、日本の人口減を埋めるように、外国資本と外国人が入ってくる。そういう外国人に直接雇われる日本人もいるだろうし、取引する日本人もいるだろう。いずれにしろ、彼らのカネと知恵と人脈を借りて、日本はほそぼそと生き残っていくに違いない。いや、生き残るどころか、日本人と外国人(移民)との間に、新しい化学反応が起こって、実はなにか素晴らしいことが起こる可能性さえある。まあ、過去を振り返ってみても、日本が発展した時期というのは、いつでも海外に対して開放的な時だったからね。

最近考えていること

前回のエントリでも書いたが、最近、バーチャル Youtuberの動画にはまっている。バーチャル Youtuber というのは、3Dモデルをかぶった Youtuber たちのことである (以下 Vtuberと呼ぶ)。去年後半あたりから急に流行し始めた感がある。最初に知ったのは、ミライアカリ。それからキズナアイが一番人気であることを知り、富士葵の歌がすごく上手いことを知った。

www.youtube.com

ここ数年の私は深夜アニメもよく見るのだが、前クールの冬アニメとは違い、今クールの春アニメは自分的には大変不毛。そのため、最近、Vtuber の動画を見ることが増えた。Vtuber の動画はほとんど無料でインターネット上で見られるので、カネもかからないしね。

最近では、おびただしい数の Vtuber たちが活動しており、競争は極めて厳しい。人気 Vtuber たちは、ほぼ毎日、工夫を凝らした動画を投稿している。若い人たちがほとんどだが、彼らの真剣な努力には頭が下がる。彼らの熱意が、私の心の中で凍てついていた何かを溶かしつつあるのを感じている。

私は、約半年前から都内某所にて常駐で仕事を始めた。常駐するのは久しぶりだったが、幸い、環境に恵まれ、いまは落ち着いて仕事ができている。ただ、問題がひとつある。落ち着きすぎて、最近では少しエネルギーが余ってきた。昼間の仕事だけでなく、夜や週末も何か建設的なことをしたい。ただ、ネットの動画を見て過ごすだけの日々は送りたくない。

GW中は、ずっとそのことを考えていた。何か仕事をしてみるか。とりあえずクラウドワークスでプログラミングの仕事を見てみたが、やはり単価が圧倒的に安い。というか、この単価でこの難易度の仕事をやるというのは、よほど優秀なのか、よほどカネにこだわりがないのか。ちょっと不思議な世界である。世の中は、エンジニアが不足しているはずなのに、なぜクラウドソーシングサイトの仕事はこんなに安いのに応募者が殺到するのか…。リモートかつスキマ時間で仕事を希望している人たちが多いっていうことなんだね。

私は、人を使うことを考えたことはないのだが、いまどきの会社は、人を昼間にオフィスで雇うことを考えずに、クラウドソーシングだけで仕事を回せば、相当安く仕事を仕上げられるんじゃないのかな。私にはちょっとできないが、どこかの経営者にはぜひ検討してみてほしい。そうやって、リモートかつスキマ時間の仕事が増えたらぜひ私もやってみたい。

話は、変わるが、最近、ドワンゴの川上さんの書いたこのブログエントリが話題になっていた。

kawango.hatenablog.com

川上さんは、最近の違法サイトのブロッキング問題で相当暗躍したらしい。この件については、私は反対だが、上のエントリの趣旨については、納得する部分もある。確かに、最近は、炎上がひどすぎる。インターネット自警団みたいな連中が、ちょっとでも politically incorrect な言動を見つけると、叩きまくるので、まともな人たちが口をつぐんでしまうというのだ。

この人は、ドワンゴの創業者でカドカワグループの重役という地位がありながら、よくもアケスケにいろんなことをしゃべるよなあ、と以前から思っていた。それは、正直偉いと思う。元LINEの田端さんとかね。

私は、以前、ブログでめちゃくちゃ書きまくっていたが、あれは、私がベトナムにいたからで、日本の会社どころか日本人ともかかわりない生活をしていたからだった。日本にいて、家族がいて、社会的地位もありながら、言いたい放題言うというのは、正直、得られるものよりリスクのほうが大きい。特に、日本はみんなが実名で話をせず、ほとんど匿名または半匿名でしかネットでモノを言わない国なので(これは日本の特徴で、他の国だともう少し実名率が高い)。

ここ数年の私は、仕事を失うことを恐れて、言いたいことをはっきりブログで主張することができないチキンだった。でも、もう少し、勇気を持って話し始めようと思う。カッコつけるだけじゃなくて、自分の恥ずかしいことも含めて、ブログで表現していきたい。Vtuber たちや川上さんからもらった勇気を糧に。

炎上だったり、プライバシーを晒されたり、リアルで軋轢を生んだり等、いろいろ問題はあるにしろ、やっぱり、これからは、ネット上で自分を知ってもらうことは、社会的に重要だと思う。カッコつけて言えば、セルフブランディングとかいうことなんだろうが、そんな横文字より、「ネットを正直に生きる」と言ったほうが私にはしっくりくる。Vtuber もブログ書きも日常的に自分をさらすことになるので、嘘や演技を続けるのは難しい。結果的に、正直にならざるを得ず、その結果、人々から信頼が得られるのだろうと思う。先ほども言ったとおり、生活が落ち着いてきたので、これからは、毎日、仕事以外でも、何か創造的なことをやっていきたい。そんなに大それたことでなくてもいいのだ。人に褒められたり認められたりする必要もない。自分が、自分のささやかな成長に満足できればそれでよいのだ。