elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

ネット炎上の研究

今は知る人も少ないかもしれないが、かつては私はもっと頻繁にブログを書いていた。2006年から2011年ころまでの話だ。当時は、綺羅星のごとく面白いブロガーたちがいて、日夜、素晴らしいブログエントリーを読者に楽しませていた。やがて、一人二人と消えていき、いまはブログ界にかつての華やかさはもうない。

私もまた他の多くのブロガーたちと同じく、ブログを更新しなくなっていった。

どうしてそんなことが起こったのだろうか?

一つ、考えられるのはネットの炎上である。どんなに真摯にブログを書いたとしても、話題によっては、それに批判的な人たちが多数集まり、ブログの内容を十分に吟味せず(ひどい場合は一行も読まず)執拗に攻撃的な言葉遣いで批判を繰り返す。そこに生産的な議論など何もない。それにウンザリしたブロガーたちが、新しい文章を書き起こすのに億劫になっていったのは想像に難くない。実際、私がブログから遠ざかったのもそこに理由があった気がする。

なぜネットで炎上が起こるのか。そこで「ネット炎上の研究」という本を読んでみた。その感想をつらつらと書いてみたい。

ネット炎上の研究

ネット炎上の研究

これはジャーナリスティックな本ではない。著者は大学教員たちで、文体は論文に近い。著者たちの専門が計量経済学ということもあり、大規模なアンケートなど統計的に処理して定量的な評価を与えており、その客観的姿勢には好感が持てる。

本書では、幾多の炎上案件をいくつかの類型に分類し詳細に比較検討している。そうした炎上事件が起きていく過程で2000年代前半に信じられた「明るく自由なインターネット」の希望がしぼんでいく。それにつれて、人々の真摯な情報発信もまた萎縮していった。

中心にあるのは「相手に直接攻撃を加えるほどのネット炎上加担者は極めて少数」という主張だ。炎上に参加するのは、ネット参加者の0.5%にすぎないという。しかも、特定の人たちのみが繰り返し炎上に参加している。体感でいえば、私も確かにそんなものだろうなと感じる。ちょっと意外なのは、炎上に参加する人たちの中心的な属性は「年収が高く、ソーシャルメディアをよく利用する子持ちの男性」が多いとのこと。従来は「低学歴・低所得な人たちが生活の鬱憤を晴らすために炎上に参加している」と信じられてきた。しかし、どうもそうではないらしい。著者は、「子供を守るため、特定の価値観に固執した結果、炎上的な批判に加担するのではないか?」という仮説を立てているが、私にはよくわからない。

ただ、炎上参加者のうち、さらに攻撃対象に直接的な攻撃(直接メールを送り付ける等)を行う人たちはさらに限定的らしい(炎上参加者(0.5%)の数パーセント)。著者によれば、こうした人たちは「コミュニケーション能力に難のある人たち」であるという。社会には昔から必ず一定数のコミュニケーションに問題を抱えた人たちがいて、そういう人たちに「発見されてしまった」ことが原因だという。

結局のところ、インターネットのどういう性質が炎上を引き起こす根本原因なのだろうか?著者は、「情報発信力の過剰」にそれを見る。インターネットは学術的な情報交換からスタートしたために、すべての参加者が等しい発信力を持つ。その結果、優良なコンテンツを発信し続ける有名人たちも、それを執拗に攻撃する匿名の炎上参加者も同じ情報発信力を持つことになった。それは不都合なのではないか?という主張だ。

そのため、著者は「発信できるのは限定された人たちだが、閲覧は誰でもできる」という半開放のサロンを提案している。批判を行う人たちはそのサロンそのものには書き込めない。もちろん、ツイッターなどで批判を行うことは可能だが、それはあくまでもサロンの外部である。

私は「情報発信力の過剰」がネット炎上につながる、という考えは持ったことがなかったので、新鮮に感じた。確かに、そうかもしれない。本当なら、発言力が、その人のネット世界への貢献度に比例していれば、インターネットにより多くの優良コンテンツが供給されるのかもしれない。

さてここからは、私がこの本を読んで次に何をするのか?という点だ。炎上を起こしている人たちが本当に少数であるならば、情報発信を恐れる理由はないはずである。ネット上の誰かから攻撃を受けたとしても、他の大多数は自分に関心がないか、あるいはむしろ好意的である、と考えることができる。(ごくまれに大規模な事故が起こり、不幸なことになることもあるが、それはもう交通事故のようなものであろう・・・)

ということで、私はこれからは少し勇気をもってネット発信の機会を増やしていきたい。ネット上には実にさまざまな人たちがいて、情報発信を行うことで、自分の視野を広げてくれるような、興味深い人たちに出会える可能性があるからだ。

情報発信の一つの形として、私は最近、毎週土曜日、友人たちと「ラジオ」と称して、Youtubeライブ配信を行っている。さまざまな時事や人生の話題について、友人たちと楽しいトークを繰り広げている。まだ試験的運用なので、ライブ配信結果は限定公開としているが、土曜日の午前10時ころまでには私の Twitter アカウント で配信URLをお知らせするので、もしご興味があればどうぞ。

年齢を小数で考える

誕生日を迎えるたびに、1歳、急に歳を取るのは、ショックが大きい。 それは年齢を整数で考えているからだ。離散的なのだ。 実際には時間は連続的に流れている。本来、年齢は小数で考えたほうがいい。 「私は、23.342歳です」「いまは、47.534歳です」等々。

そこで私は自分の年齢を小数で表示するプログラムを書いてみた。言語は Python

#!/usr/bin/env python3
from datetime import date


def calc_age(year: int, month: int, day: int) -> float:
    birthday = date(year, month, day)
    today = date.today()
    last_bd = date(today.year, month, day)
    if last_bd > today:
        last_bd = date(today.year - 1, month, day)
    base_age = last_bd.year - year
    fraction = (today - last_bd).days / 365
    return base_age + fraction


if __name__ == "__main__":
    print("{:.3f}".format(calc_age(1970, 6, 18)))

calc_age(year, month, day) のところをあなたの誕生日に変えていただければ、あなたの年齢も計算可能だ。 ちなみに私の今日の年齢は50.008歳だそうだ。早くも50歳を1/100近く消費してしまった。こうやって数字で見ると、「今日を一生懸命生きなければ」という気持ちになるというものだ。

調子に乗って、今日が今年の1月1日から何年経過したか計算するプログラムも書いてみた。もちろん、これは1未満の小数になる。

#!/usr/bin/env python3
from datetime import date


def calc_upto_today() -> float:
    today = date.today()
    first_day = date(today.year, 1, 1)
    fraction = (today - first_day).days / 365
    return fraction


if __name__ == "__main__":
    print("{:.3f}".format(calc_upto_today()))

このプログラムによると、今日6月21日は、0.471年ということらしい。今年も早くも半分近く終わってしまったことがすぐわかる。歳を取ると年月が流れるのが本当に早い。流されずに毎日を大切に生きていきたいものだ。

50歳

今日6月18日は私の誕生日。 とうとう50歳になった。 50歳になってしまった、という言い方がより実感に近い。

昨日まで49歳で今日から50歳。 1歳年齢が上がったわけだが、もちろん正確には昨日は 49.997歳で今日は50.000歳になった、というだけのことで、実質的にはほとんど何も変わらない。 去年の誕生日、49歳になったときから、すでに気持ちは50歳に向かっていた。去年の秋頃にはもう50歳になった気分でいた。 私はどうも「50歳」という区切りにこだわっているらしい。 40歳でも60歳でもなく、50歳。 60歳は「還暦」と呼ばれ、世間的にはより大きく取り上げるけれども、たぶん10年後、60歳になったとしても、今ほどの感慨はない気がする。

なぜそんなに50歳にこだわるのか。 それは私には名実ともに「大人になる」ということに思えるからだ。

20歳で成人式を行う。 だが現代の日本において、20歳が完全に大人だと思っている人たちは少ない。 彼らは若者であり、まだ多分に子供っぽさを残している。

私は、若さが好きだ。若者が好きだ。子供ぽいかもしれないが、彼らの持つ、ある種の過剰さ、バランスの悪さ、カオス、といったものを愛している。たぶん、それがイノベーションの源泉になるからだろう。

20代は若者だ。 30代も現代では半分以上、若者扱いされる。 40代は、若者とは言いにくいものの、若者の最後の香りが残っている。

しかし、50代は違う。 さすがに50代の人を指して「若者」とは呼べない。 どんな基準を持ってしても、もう50代は若くない。

私が愛していた「若者ぽさ」との最終的な決別。 そして私は「大人」になる。

50代あたりから、統計的にも大きな病気にかかりやすくなる。一部の人たちは命を落とし始める。これから老化の長い下り坂を少しずつ下っていく。私はもう若者ではない以上、無限の可能性は残されていない。いままで積み上げてきた要素を磨き上げて、完成していくだけだ。それに意味がないとは言わないが、私がかつて愛していていた無限の新しい展開(そんなものは最初からなかったのかもしれないが)はそこにはない。

幼児であれ、若者であれ、大人であれ、等しく有限の命しか持たない存在であることは変わりない。しかし、大人に残された時間は相対的に短い。残り時間をより強く意識する必要がある。私の残された人生で、いったい何を残し、何を捨てていくべきか。お恥ずかしい話、それが私にはまだ整理がついていない。

まず仕事の話をしよう。

私は、いま東京のある会社で機械学習エンジニアとして働いている。この15年ほどずっとウェブエンジニアをしていたのだが、1年ちょっと前に機械学習エンジニアに転向した。

正直、経済的にはウェブエンジニアのほうがコスパは良いし、仕事の幅も広いと思う。あの手のエンジニアリングに対する需要は決してなくなることはないからだ。

対して、機械学習を仕事にするのはハードルが高い。まず、ある程度の仕事ができるようになるまでの勉強量が非常に多い。数学・機械学習理論・プログラミング。それぞれの分野で同時に高い能力を求められる。それでやっとスタートラインだ。その後も、ひたすら論文を読み、Github のレポジトリを調査して、コードを書く日々が続く。それが延々とづづくのだ。綺羅星の如く才能のある若い人たちが集まっており、彼らの仕事ぶりは迅速かつ正確だ。そういう人たちと比較対象になるというプレッシャーの下で仕事を続けなければならない。

同僚たちの能力は段違いに高い。私は、日々、泣きたいような気持ちで仕事をしている。

ではウェブエンジニアに戻りたいのか?答えはノーだ。私はもともとウェブプログラミングの決定論な世界に退屈を覚えていた。それに比べると、機械学習は面白い。何がでてくるかわからない面白さがある(もちろん、それがつらさの源泉でもあるのだが)。

初めて心から興味の持てる仕事をしている気がする。それはとてもありがたい。この先どこまでやれるのか不安もあるが、とりあえず行けるところまで行ってみるつもりである。

というわけで、幸い仕事はまずまず充実していると言っていい。

しかし、人は仕事(≒カネ)のみに生きるにあらず。

幸福度という点を考えた場合、むしろ重要なのはどれほど豊かな人間関係を持つか、という点にある。

残念ながら、今の私はこの点について及第点が取れない。

この数年間、新しい友人が作りにくくなっているのを感じる。いまお付き合いさせてもらっている友人たちは、ほとんどが5年以上前に出会った人たちだ。このままではいけないと思いつつ、忙しい日常にながされて有効な手が打てていない。

この5年間で何が変わったのだろうか?一番の変化は、本腰を入れてITの仕事に戻ったこと、機械学習という長期的な目標を見つけたこと、その結果、経済状況が非常に安定したことだ。 逆に言えば、私の中からある種のカオスが大幅に減ってしまった。「遊び」や「隙間」がなくなった、というか。

生活が自足するようになってしまって、あまり他人の存在が必要でなくなってしまったのかもしれない。以前は、他の人たちと社会や生き方について議論するのが好きだった。私がそういう議論を人生で必要としていたからだ。私はいつも何かを模索していて、新しい可能性を試そうとしていた。

ところが今は、生活に満足してしまい、他の可能性を探さなくなってしまった。それとともに、積極的に他者と話をするという動機も失われてしまった気がする。

友人を作るのに、一番良いのはおそらく趣味を共有することだ。だが、私はどうも無趣味な人間で、仕事かそれに関連する勉強をしていることが多い(唯一の息抜きは、アニメを見ることなので、これが趣味と言えるのかもしれないが・・・)。

人と付き合い、人から学ぶことは人生を豊かにするのは確かなので、何か方法は考えたい。

異性関係についても触れておこう。50代の大人が何を、という気もするのだが、私はいまだに女性に未練を残しているのを認めざるを得ない。女性とたまに付き合ってもあまり幸せな時は過ごせなかった。一度、結婚したものの、あれこれあって2年で離婚している。

おそらく、男性と女性は相補的な関係にあるのだろう。たとえどんなに面倒だと思ったとしても、やはりどこかで異性を求める気持ちは残る。本当はその気持ちに素直に応えてやるべきなのだろうが、私はあまりいろんなことをこじらせすぎて、どうしたらいいのか、いまだにわからない。

若い頃は自分は女性に人気がないと思っていた。それも事実だろうが、それ以上に私が女性を受け入れていなかったのだ。私は、うまく感情をコントロールできず、包容することもできなかった。相手がどうの、というより、私自身の問題だったのだろう。

女性との関係についてはいろいろ思うことがあるのだが、あまり決めつけをしないで、フラットな姿勢で臨んでみるつもりだ。

50代のおける抱負を考えてみようと思ったが何も思いつかなかった。 40代に入ったときも同じように抱負を持とうとしたが、たしか何も思いつかなかった気がする。正直私にとって40代はあまりぱっとしない感じ(30代の圧倒的なはっちゃけぶりと比べると)ではあるが、では、抱負を持てば何かが変わったのか、と言われれば、そんな気もあまりしない。まあ、抱負なんて持っても仕方ないのかもしれない。

ただ、目の前のことを一つ一つ丁寧に取り組んでいこうとは思っている。まずは、仕事が基本。そのうえで、人との関係は大切にする。できる範囲で、少しだけ人様の役に立てる人間にはなりたい。もっとも、あまりこの点を強調するつもりはない。自立して他人に迷惑をかけずに生きていくだけで、95%くらいは人間としての責務を果たしているからだ。

もはや若者ではなく、大人として生きていかねばならないものの、私はまだまだ未熟である。 今後ともどうかよろしくお願いします。

日本の医療システムは新型コロナウイルスにどこまで耐えられるか

お断り

これは全く医療とは無関係の個人的試算であり、なんら真実性を保証するものではないです。 正確な情報については、厚生労働省等、公式の機関の発表を見てください。

本文

以下の数字は概算の推定です。私は全くの素人なので、だいたいオーダー(桁数)が合っていればいいかな、くらいの感覚で計算しています。具体的な推定値には特に意味がないと思っていただいたほうがいいです。専門家からのツッコミをお待ちしております。

日本では肺炎で亡くなる人が年間に12万人程度います。 www.tokyo-eiken.go.jp 肺炎の他に誤嚥性肺炎というのがあるのですが、とりあえずこれはよくわからないので無視します。これで亡くなる人も4万人くらいいるのですが。

肺炎の入院患者死亡率はだいたい9%程度です。ということは、12/0.09 = 年間133 万人ほど肺炎入院患者はいるということになります。 http://www.seirei.or.jp/hamamatsu/hama/clinical_indicator/PDF/41.pdf

平均2週間入院するとします。

計算を簡単にするために1年=50週とすると、133万人/(50/2) = 5.3万人くらいが平均して入院しているのではないかと思います。

なんで平均は5.3万人といってもピーク時にはその2倍の10.6万人くらいの肺炎入院患者は普通にいると思われます。 (肺炎は冬に多く夏に少ない病気だそうで、そのグラフをどこかで見たのですがいま見つけられない)

仮定に仮定を積み重ねた拙い数字ですが、これが正しいとして日本の医療機関は同時に11万人程度の肺炎患者を同時に扱えるとします。 これは適当な数字ですが、オーダーとしてはこれくらいではないかと思います。

インフルエンザの流行の最盛期では同時に200万人くらいが感染します。 www.nippon.com

新型コロナウイルスの感染者の5%が入院が必要なくらい重症化するとします。 仮に新型コロナウイルスに同時に100万人が感染するとその5%の5万人が入院が必要な程度の肺炎にかかります。

もし医療側のキャパシティが11万人だとすると、他の原因の肺炎患者も当然いるので、なんとか工夫すればギリギリ対応できるかな、くらいの感じでしょうか。 オーダー的にはそんな気がします。

かりに同時に1000万人感染してしまうと、5%が50万人ですから、もう無理ですね。これは医療崩壊コースです。ただ、2009年新型インフルエンザのときでさえ、そこまで同時に感染が起こらなかったようなので、そこまで心配しなくてよい気がします。 ja.wikipedia.org

逆に同時に10万人程度の感染であれば、5%は5000人ですから、問題なく医療システムが対応できることになります。

・・・と推測に推測を重ねて来ましたが、一番、脆い仮定は「日本の医療機関は同時に11万人程度の肺炎患者を同時に扱える」という部分ですね。 本当にそこまでキャパシティがあるのだろうか?

もしここらへんの事情に詳しい方がいらっしゃれば是非教えてください。

仕事と休暇の融合・ワーケーション

ワーケーション、という言葉があるのを初めて知った。要するに work + vacation → workation ということで、「仕事と休暇の融合」ということだ。

ワーケーションという言葉は「ワーク」と「バケーション」を組み合わせたできた造語です。意味としては「働きながら休暇をとること」。主に旅先での仕事を認めるという意味合いが強いです。

www.remotework-labo.jp

「ワーク(仕事)」と「バケーション(休暇)」を組み合わせた造語。オフィスを離れ、どこかで休暇を過ごしながら働くことだ。「ワーケーション」という言葉そのものは、2000年ごろにアメリカで生まれたとされ、近年働き方が多様化してきた影響で世界中に広がっている。

ideasforgood.jp

前回のエントリで私は、近い将来「海外リモートワークへの移行」を果たしたいと述べた。

もしリモートワークが可能になったら理想的には次のような生活をしてみたい。

基本は東京(またはその近郊)でリモートワークを行う。 そして、ときどき(年に4回〜6回)ほど、海外に行って働く(1回につき1週間〜4週間程度)。 基本的に、行くたびに訪れる国は変えて、同じ国に行くのは多くて年に2回程度とする。

elm200.hatenablog.com

このライフスタイルは、 だいたいワーケーションという言葉で表現できるかもしれない、と思った。もちろん、ワーケーションが Work + Vaction である以上、その構成比率は問題になる。 ワーク中心なのか、バケーション中心なのか。私は、海外に滞在しても週5日働くつもりなので、ワーク7, バケーション3くらいの比率となるだろう(これは東京に住んでいても同じだ)。

日本を拠点にするのはいろんな理由がある。私は何度も海外に長期間連続滞在したことがあるが、日本国籍を持つ人物が日本を長期間離れるのは、あらゆる意味で面倒くさい。日本の諸制度との折り合いもあるし、海外に滞在するビザの問題もある。21世紀初頭の時点で、人々が海外に行くいちばん無難な方法は、短期間、観光客として滞在することだ。ワーケーションはまさにその意味で理にかなっている。

LCCが発達して、海外に安価に移動できる今日、1ヶ所に定住する「移住」を行う必要は薄れている。それは、命がけで船で何ヶ月も掛けて海外に移動した昔の固定観念に過ぎない。いずれ世界にはパスポートもビザもなくなって、地球上のどの土地に生まれた人も、地球上のどこにでも自由に住み働ける時代が来るとは思うが、それまでは、自分が法的に一番安定していられる場所に本拠を置くのがもっとも苦労が少ない。

ほとんど日本に戻らずに、何年も海外を彷徨っている kumi さんという方がいる。

jp.kumi-log.com

彼女からは「定住しない」というヒントをもらった。同じことを私は日本から世界各地を往復することで達成するつもりだ(当たり前すぎて、あまりロマンチックではないけど・・・)。

海外リモートワークへの移行

先日、私はタイ北部の都市、チェンマイを訪れた。そこで私は海外のリモートワーカーたちの集団に出会った。多くは欧米人でどうやら本国の仕事を物価の安い国(たとえばタイ)でやっている、ということらしい。彼らは「デジタルノマド」と呼ばれることが多いことも知った。

チェンマイにはそういうデジタルノマドたちを受け入れるカフェやコワーキングスペースがたくさんあった。以下は私が訪れたカフェやコワーキングスペースの一部である。

Ombra Caffe

www.tripadvisor.jp

CAMP

manablog.org

私は彼らデジタルノマドたちをうらやましく思った。

私は、もともと海外に暮らすが好きな人間である。カナダで4年、ベトナムで2年半暮らしたことがある。「海外移住」は私の唯一の趣味と言ってよい。

私は正直海外に「旅行」することにはあまり興味がない。いわゆる物見遊山の旅行である。観光地を回ったり、買い物をしたり・・・等々。そうではなくて、私は海外で生活したいのだ。現地で暮らす人たちと同じ目線でいろんなものを見たり経験したりする。それが私のやりたいことだった。

そういうライフスタイルを確立するためには、現地で仕事をすることが必要になってくる。しかし、海外で働くことはなかなかハードルが高い。現地で仕事を探すのはいろんな意味で難しいからだ。

しかしデジタルノマドたちはリモートワークすることでその問題を解決してしまっている。地球上、どこにいてもインターネットがつながっているだけで仕事ができる。なんて素晴らしいのだろう、と私は思った。

日本に帰ってそういうライフスタイルを実現するためにはどうしたらいいか考えた。

リモートワークに関するイベントに参加した。

bpstudy.connpass.com

Everforth everforth.co.jp

ビープラウwww.beproud.jp

ソニックガーデン www.sonicgarden.jp

というリモートワークで先進的な取り組みをしている3社の社長さんが登壇して、興味深い話をしてくださった。実践的でたいへん興味深い話ばかりであった。

その後ネットを検索すると

Remote Work Labo www.remotework-labo.jp

という興味深いメディアも見つかった。それもそのはずこのオンラインメディアはソニックガーデンさんが中心に運営しているものらしい。リモートワークに関して先進的な取り組みをしている会社さんへのさまざまなインタービューが掲載されている。

私自身の経験をいうと、3年間ほどほぼフルリモートで働いていたことがある。都内のある会社さんと組んでフリーランスで働いていたときのことだ。私は Ruby on Rails で受託開発の仕事をしていた。通勤とは無縁で、生活のリズムを自分で組み立てられるリモートワークは私にとってはとても快適だった。

いまは別の会社で正社員として働いている。機械学習エンジニアとして、自然言語処理関係の業務に携わっている。正直、いまの会社は SNS 周りの扱いに弱く、私もネット上ではこの会社とのつながりを伏せている。またリモートワークに関してもあまり積極的とは言えない。機械学習の分野では有名な会社であり、いろいろ良心的なホワイトな職場ではあるが。私は、とりあえずこの会社で精一杯いろいろやってみるつもりだ。リモートワークについても時機を見て提案してみたいと思っている。

だが、どうしてもここで自分の夢が実現できないようであれば、転職も視野に入れようと思う。 フルリモート可能という働き方はそれだけ私にとっては魅力的だ。

もしリモートワークが可能になったら理想的には次のような生活をしてみたい。

基本は東京(またはその近郊)でリモートワークを行う。 そして、ときどき(年に4回〜6回)ほど、海外に行って働く(1回につき1週間〜4週間程度)。 基本的に、行くたびに訪れる国は変えて、同じ国に行くのは多くて年に2回程度とする。

デジタルノマドとして暮らすのに適した都市は、世界に多くある。私は温暖な気候が好きなので、たぶん多くの場合、東南アジアに行くことになるだろう。 タイのチェンマイ。私の第二の故郷、ベトナムホーチミンサイゴン)。行ったことはないが、インドネシアのバリや、マレーシアのペナンも有名らしい。

私がタイで出会ったデジタルノマドは、みなよい身なりをしたプロフェッショナルたちだった。仕事に対する妥協はなく、ただ、自分の生活のしやすさや新しい刺激をもとめて、東南アジアに来ているようだった。私も、海外で羽目をはずした生活をするつもりは全くない。東京にいるのとまったく変わらず、自分の仕事と誠実に取り組み、真面目に暮らすつもりだ。ただ、それが海外であるという違いでしかない。

ある人たちは、家を買い、一定の場所にずっと暮らし続けることを選ぶ。日本は保守的な社会でこういう人たちが称賛されることが多い。だが、昔から旅しながら生活する人たちもいた。ある種の商人・漁民・遊牧民等々。私にはどうやらそういう遊牧民ノマドの血が流れているらしい。一箇所にずっといると自分の血液が停滞するのを感じる。こういう遊牧的な暮らしはなかなか理解されにくいのかもしれないが、これも一つの立派な生き方であることを自分の人生を通じて証明したいと私は考えている。

台湾旅行 2019-05

TL;DR

  • 2019-05-02 から 2019-05-07 まで台湾訪問
  • 訪れた都市

    • 高雄(メイン)
    • 台北
  • 使用交通手段

  • テクノロジー

    • 現地 SIM + Google Maps 最強
    • LCC 便利
    • Backpacker の都市間移動には高速バスが便利
  • 個人的感想

    • 台湾人優しくて好き
    • 中国語熱再燃(?)
    • 今後も定期的に海外に出たい

写真

地下鉄美麗島駅 地下鉄美麗島

高雄市で一番高いビル(85スカイビル)からの眺望 高雄市で一番高いビル(85スカイビル)からの眺望

六合観光夜市 六合国際観光夜市(ナイトマーケット)のにぎわい

高雄市歴史博物館 高雄市歴史博物館

高雄市立美術館のアート 高雄市立美術館のアート

監視カメラの前で「微笑してね」。台湾人のユーモア 監視カメラの前で「微笑してね」。台湾人のユーモア。

高雄

雰囲気

  • 高雄市は人口200万人で台湾第三の都市だが、整然としていて、とても歩きやすかった。
  • 年中気温が高いせいで開放的な作りの店が多く、かつ、バイク(ほぼ100%スクーター)が多いので、雰囲気がベトナムにとても似ていた。
    • いわば「看板が漢字で、秩序があるベトナム」という感じ
  • 日本と同水準の生活が期待できる

訪れた場所

  • 高雄市歴史博物館。これは、日本統治時代の高雄市役所をそのまま使用しているらしい。展示では、日本統治時代をことさらに悪く言う風ではなく、日本が近代的な教育を台湾にもたらした点に関しては素直に評価していた。また、228事件という独立直後の台湾にとって非常に不幸な事件について、真摯に反省して未来につなげようという強い意志を感じた。こうした一連の態度に私は知的な誠実さを感じた。
  • 高雄市中央図書館は、極めておしゃれ。敢えて例えれば、代官山にある「蔦屋書店」みたいな感じ。

    • そういえば、ツタヤは日本で実際にいくつかの公共図書館の運営を受託しているみたいだけど、実際のところはどんな感じなのだろうか?
  • 高雄市立美術館も、台湾の芸術家の作品を中心とした個性的な展示が行われておりとてもよかった。日本の美術館とコラボした特別展などもあった。

交通

  • 地下鉄が南北と東西に伸びている。地下鉄は10年前に作られたばかりなので、とても綺麗で快適。
  • 地下鉄は飲食が厳禁。私は水を飲んでいるだけで、ガードマンに注意された。飲食を自由にするとその分汚れやすく掃除の費用もかかる。飲食完全禁止というのは案外合理的かも。
  • 地下鉄は初乗りが20元(約80円)であり、激安である。

宿泊施設

  • 宿泊したのは日本人経営の「あひる屋」というホステル。美麗島という東西の地下鉄の交差点にあるので、とても便利な立地。内装も現代的でとてもおしゃれ。共有スペースにあるテーブルはカフェのようだ。とても快適な宿だった。
    • あえて残念な点を言えば、人はこういうきれいなところにいると、あまり羽目をはずさない。いかにも今風だが、みんなPCとスマホを相手に黙々作業をしており、宿泊者同志の交流があるようには見えなかった。いっそのこと、宿泊者用の slack チャンネルでもあればよかったか?(笑)

食事

  • 食事は安くてうまい。特に屋台風の昔の店で食べると安い。100元(400円)もあれば腹いっぱい食べられる。朝食の店はそこら中にあるし、夜もナイトマーケット(夜市)で食べればいいし。
  • 至るところにセブンイレブンがある。それよりずっと数は少ないが ファミリーマートもあった。セブンイレブンは日本とほぼ同じ構成だが、おでんや中華まんを客が自分で選んでレジに持って行くところは違う。これは省力化につながるので、日本も真似すればいいのにと思った。
  • セブンイレブンには日本の菓子やお茶がたくさん売っている。日本語のままのものもある。私は龍角散の飴を約50元(200円)で買った。日本だと100円で売っているものである。

台北

  • いろいろ考えた末、結局、再びアロハバスを利用。今回は空調の温度はちょうどよかったが、トイレのすぐ後ろの席になってしまい、足が伸ばせず少し窮屈だった。トイレのそばの席には座らないほうがよいという知見を得た(いつこれが再び使えるのかわからないが)
  • 台北の宿泊先は「あかり」というゲストハウス。もともとは「おおしろ」という名前の日本人経営のハウスだったが、いまは台湾人女性のオーナーに変わっている。ただ、雰囲気はそれほど変わっていない。昔ながらのゲストハウスである。台湾人オーナーが接客してくれたが、あたたかみのある人だった。
  • 台北はやはり高雄よりずっと人や車が多い。ほとんど東京と変わらない雰囲気。新しい店が多く、伝統的な古い台湾風の店はだいぶ少なくなっている印象(台北駅の周りだけの話なのかもしれないが)。

テクノロジー

USB 充電器

  • 台湾には至るところに充電器がおいてある。特にスマホに直接つなげられる USB 充電器は街中で見かけた。

支払手段

  • 高雄の場合、ほとんどの人たちが Suica のような交通系のカードを使って、地下鉄やバスに乗っていた。
  • それ以外の点ではそれほどキャッシュレス化が進んでいるようでもないようだった。日本よりは進んでいるにしろ、中国大陸に比べたら、全然という印象。

Google Maps すごい

  • 今回、スマホ時代に入って初めて本格的に個人旅行をしたのだが、Google Maps の圧倒的な力にひれ伏すしかなかった。Google Maps で経路案内を選択すると、バス路線も完璧にナビしてくれるので、結局、最後までタクシーを使う必要がなかった。Google 実に恐るべし。
  • Google Maps はおまけに最寄りの Uber の車までサジェストしてくれる。私はスマホUber のアプリを入れていなかったので使えなかった。今度海外に出るまでには、Uber アプリとサインアップを済ませておこうと思った。

現地SIM重要

  • 渡航直前、成田空港で台湾の SIM を購入した(テレコムスクエアという店で買える)。5日間使い放題で1400円。私は非常に安いと思う。1400円のもとはゆうに取った。この SIM のおかげで、街歩きするとき、Google Map の圧倒的支援を受けられたのであるから。現地SIM + Google Map は今後の海外旅行の基本スタイルであろう。

LCC の発展

  • あと10年前と変わったのは、LCC の発展だ。とにかく LCC が良く飛んでいる。今回は、GWに旅程がかかっていることもあり、そこまで安いわけではなかったが、それでもかなりリーズナブルな価格で飛ぶことができた。
  • LCCは、手荷物の量に厳しい制限があることと食事は有料なのが欠点ではあるが、逆に言えば、食事が出ない分邪魔されず睡眠に専念できるという考え方もできるので、とてもよいと思う。

高速バス

  • 台北と高雄の移動には高速バスを使った。台北→高雄は、阿羅哈(アロハ)客運という会社の高速バスに乗った(730元(2920円))。 とにかく豪華。
  • 2列シートで基本的に飛行機のファーストクラスみたいな席。冷房が効きすぎている(これは南の国のあるある)ことを除けば、完璧に快適だった。
  • 台湾は交通手段の選択肢が多い。鉄道もよい(日本より運賃が安く、バスより高速)が、快適さではおそらくバスに軍配が上がる気がする(といいつつ、鉄道にはまだ乗っていないが)。

個人的感想

台湾人について

  • 台湾の人は優しい。何かを買うと、普通の店の人が「謝謝」と言葉を掛けてくれる。大陸の人たちと違って、信号は守るし、列は作るし、大声で話さないし、街でゴミも捨てない。華人は基本的に押し出しが強い人が多いのだが、その中ではむしろ控えめに見える。日本人にとっては違和感なく付き合えるのでありがたい。
    • 俗説では、こういう気質は日本統治時代の影響ともいうが、真実はいかに。

中国語について

  • 私は2004年頃、中国大陸で中国語を学んだ。ほぼすべて忘れていたが、数日、台湾にいるにつれて、少しずつ思い出してきた。台湾人とは、私の片言の中国語か、英語で話した。若い人の中にはかなり英語の上手い人もいた。

  • 台湾人とより深くコミュニケーションを取るために、中国語(北京語)を改めて勉強したいなと思った(実際に時間が取れるかは不明であるが)。中国語の発音は、ベトナム語に比べれば易しいので、あともうちょっと努力すれば、中国語が聞き取れるようになりそうな気もする。そうすれば、コミュニケーションはずっと楽に、楽しくなりそうだ。

今後の展望

  • 今回は久しぶりの完全個人旅行(たぶん7年ぶりくらい?)なので、海外個人旅行の勝手をはじめ完全に忘れていて戸惑った。しかし、台湾に来て数日するうちにだんだんかつてのノリを思い出してきて、調子が出てきた。調子が出始めた頃に帰国しなければならないのは残念である。

  • 私は、今後は定期的に海外に出て、この海外をサバイブする能力を一定程度、維持し続けたいと思った。私は、本質的に旅人らしく、旅に出ているときが一番自分らしい気がする。世の中には一定数こういう人たちがいて、たぶんそういう人たちは定期的に旅に出る必要があるのだ(理想的には、旅の中に生きるべきなのだ。松尾芭蕉のように)。