elm200 の日記

旧ブログ「elm200 の日記(http://d.hatena.ne.jp/elm200)」

社会保障としてのブログ書き

ブログを書かなくなって久しくなる。私は、Twitter のほうは相変わらず更新しているのだが、どうもブログは億劫で書く気があまりしなかった。その億劫さの理由についていくつか書いていきたいと思う。

私は、かつて、よくブログを書いていた(はてなダイアリー)。ブログを書くのは大変だったけど、それなりに読んでくれる人たちもいたし、その反応を見るのは楽しかった。コメント欄も自由に開放していて、激励のコメントもあれば、どうしようもないコメントもあった。まあ、そういうもの一切をひっくるめて、私は結構ブログ書きを楽しんでいた。

私がもっとも熱心にブログを書いていたのは、2009年から2010年にかけて、ベトナムに住んでいた頃だった。あの頃は、ろくに仕事もせずに、日々、遊び暮らしていた。日本人とすらほとんど会わなかった。まったく日本とは別の世界にいたから、日本語話者のことを何も気にせずに、日本語でいろいろ書けたのだ。

いまは違う。私は6年ほど前に、日本にほぼ完全に戻ってきて、それから、ほとんど海外に行っていない。いま話をする人たちもほとんどは日本人だし、日本の会社と取引をして、日本円にお金をもらい、それで生計を立てている。いまは、穏やかな暮らしをしているので、正直、昔みたいに何でも正直に言って、炎上上等、みたいな生き方はしんどい。まあ、単に歳を取ったということもある。

日本で、日本人に取り囲まれて、日本語で発信するのはやはり窮屈だ。日本は、どういうわけか世界でももっともプライバシーにうるさい国の一つで、うっかり他の人の秘密でも話してしまおうものなら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになることは目に見えている。そうでなくても、私はいまはそれなりの責任を負って、仕事をしていて、守秘義務もいろいろ負っているので、もちろん、その周りのことも話ができない。私生活でも、他の人たちから、「これは秘密にしておいてほしい」と頼まれている事柄もいろいろあり、それについても話ができない。まあ、そんなことは当たり前の話に聞こえるかもしれないが、かつて、ベトナムで何の秘密もなく気軽に発信していたころを思うと、いろいろ面倒ではある。

というわけで、いろいろ制約は生まれてきてはしまってはいるのだが、これからも言える範囲で、いろんなことを話していきたい。そして、できれば、その「言える範囲」を少しずつ広げていきたい。時には、炎上覚悟であえてきわどい話題について言及しなければならないときもあるのかもしれない。いまはまだそのエネルギーがないのだが、少しずつエネルギーを蓄えてそういうことも話していきたい。

私は、いま異性のパートナーはいない。今後も結婚したりするかどうかはかなり疑わしい。おそらくは、いわゆる「おひとりさま」の老後を迎えるであろう。そのときに、何が私を支えてくれるだろうか。

家族以外は頼りにならない、という時代が、ずっと長く続いた。いまはどうだろうか?市場経済が高度に発達したおかげで、かつては家族から受け取っていた種々のサービスを市場から買えるようになった。経済力があれば、物理的には生きていけるだろう。

ただ、精神面はどうか。私は、インターネット上での発信が役に立つのではないかと思っている。インターネット上で自分の気持ちを正直に吐露し続けること。そして、自分の「ファン」を少しずつ増やしていくこと。数は多くなくていいし、熱烈でなくてもいい。そういう人たちがいて、そういう人たちとささやかな交流を持ち続けることが、いちばん精神的には報われる気がする。

残念ながら、家族だから、血のつながりがあるから、といって、精神的にも支えあっているか、といえば、そうでない例も多い。離婚する人たちがこんなに多いのを見てもそれは明白だろう。私は、ブログ書きとその読者くらいの距離感が案外よいのではないかと思っている。ブログのファンは、全面的なつながりではないとしても、ある一面に関して、ブログの書き手のことが好きだから読んでいるのだ。そこにあるつながりは、経済的な利害関係がない分、純粋である、とさえ言えるかもしれない。

というわけで、今後もぼちぼちブログを更新していくので、よろしくお願いします。